上郡ロータリークラブ  WEEKLY REPORT
 

国際ロータリー第2680地区 

2007〜2008年度

   ROTARY SHARES         

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会 長 武者 信    例会日 毎週金曜日 12時30分〜13時30分

幹 事 大岩 敏彦   例会場 上郡町商工会館2階

会 報 浅野 一裕   事務局 上郡町商工会内 TEL 0791-52-3710 FAX 0791-52-3833

            E-mailkamigori@gold.ocn.ne.jp  http://kamigori.ri2680.org

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2007年11月30日             VOL.45     No.20

点鐘・ソング

 手に手つないで 

 

出席報告  柳原 義宏委員長

会員数

出席

MU

免除

欠席

出席率 %

前々回修正出席率 %

2

2

2

 

2

92.3

88.46

    

会長の時間  武者 信会長

いよいよ明日から師走です。会員の皆様方は何かとお忙しいと思いますが、寒い季節でもあり、健康には充分注意され乗り切っていただきたいと思います。特に来週はクラブ年次総会となっておりますので、できるだけ出席いただきますようお願い致します。

 さて、11月17日には相生RCの50周年祝賀会に大岩幹事ともども行って参りました。私も今年で五十歳となりましたので、私が生まれた年に創立されたことになります。当日は相生市長・三木ガバナー・加藤前ガバナー・安平パストガバナーはじめ多くの来賓がご臨席の中、盛大に執り行われました。また記念講演では講師に地元出身の元検事総長原田明夫氏をお迎えし、貴重なお話も拝聴することができました。実は原田明夫さんは18歳まで私の実家の三軒隣に住まわれており、後ほどご挨拶を致しましたところ、私の母親のことなどよく覚えておられ、そういう面でも非常に感動いたしました。最後の懇親会では、地元小学生によるペーロン太鼓や、ジャズセッション等のアトラクションもあり終始和やかな雰囲気で閉会の際には御馳走がすべて平らげられ、気持ちよく終えることが出来ました。

 来年は龍野RCが50周年を、さらには数年後には当クラブも50周年を迎えることになります。気持ちよく50周年が迎えられますよう、今後とも皆様のご協力をお願い致します。

 

ロータリー豆知識

 クラブ年次総会 

  総会といっても形式は例会の一つである。ロータリー例会は全員出席が原則であるから総会も例会も人員は同じである。但し年次総会は次期の理事役員を選出する重要な任務がある。この年次総会は、本クラブ細則の定めるところに従い、毎年12月31日までに開催されなければならない

 

幹事報告  大岩 敏彦幹事

 ○ガバナー事務所より

    1.地区大会の礼状が届いています

    2.出席率の計算方法のお知らせが届いています

 ○姫路西・姫路南・姫路・姫路中央・各RCより例会変更のお知らせが届いています

 ○ロータリーの友事務所より「ロータリーの友 英語版」が届いています

 ○那覇西RCより、日本ロータリー親睦ゴルフ全国大会の案内が届いています

       日 時  2008年3月17日(月)

       場 所  琉球ゴルフ倶楽部

 ○相生RCより週報(No2438〜2447)が届いています

     上郡町教育長より文化祭協賛の礼状が届いています

     龍野健康福祉事務所より「ニュースレター76号」が届いています 

 ○例会終了後、臨時理事会を開催しますので理事の方は宜しくお願いします

   

委員会報告 

 新世代委員会

  以前お渡ししていましたアンケートですが、集約中ですのでまだの方は提出お願いします

 親睦活動委員会

  クリスマス例会の景品を二品ほど協力お願いします。又、来週の例会終了後委員会を開催したいと思いますので委員の方はお願いします

 

SAA報告   辻 洋一郎SAA

ニコニコ箱・親睦箱

 大岩幹事・・・ニコニコ協力 

笠間会員・・・ニコニコ協力

 柳原会員・・・西播ゴルフ大会で待望の100を切る事が出来ました。これも麻植さんにお世話頂いたドライバーのおかげです。有難うございます。

 箸蔵会員・・・今週初めに東京へ行って参りました。東京駅近辺だけでも新しいビルの数はすごいですね。ただ大阪あたりと比べると緑は結構ありますね

 谷脇会員・・・11月18日のパーティには素敵なクリスタル祝電をいただき本当に有難うございました

 小林会員・・・本日早退申し訳ありません

 大澤会員・・・例会に寄せて

 深澤会員・・・先日の西播ゴルフ大会ご苦労様でした。足を引っ張りました。カセット借りてました。有難うございました

 麻植会員・・・先日の相生カントリーでの対抗戦お疲れ様でした。次回こそ優勝目指しましょう

 東 会員・・・例会に寄せて

 森 会員・・・西播ゴルフ大会ご苦労様でした。徳田会員にお世話になりました。有難うございました

 松田会員・・・西播ゴルフ 天気は良かったが成績は悪かった

 河本博会員・・例会に寄せて

 浅野会員強力なピンチヒッターでのスピーチ宜しくお願いします

 辻 会員・・・ゴルフ欠席スマン

 

                        ニコニコ箱     7,000円

                        親 睦 箱     10,000円

                        合   計    17,000円

 

 




本日のスピーチ

   
  ロータリーの発生


           情報委員会 浅野 一裕




 

二十世紀の初頭、シカゴが悩んでいた病患は、同じく他の各地にも流行し、第一回シカゴ万国博覧会直後の不況期は、シカゴが零落した最悪の時代であった。貧窮の笞ほど過酷なものはなく、大衆はその最下底にあえいだ。所有する者は失うまいとして闘い、失った者は、わずかに生活の糧を得ようとして争った。借家人は家賃を怠り、借金者は利子を怠り、小売商人は卸先への、卸売商人は製造元への支払いを怠った。裁判所は不法侵入、監禁願、貧困保護、抵当処分、失権回復、差押えなどあらゆる事件で充満した。

 

この惨たんたる光景は容易に忘れがたいものがある。こうした逆転にであった初期の実業家は、当時としては、相当に高い道徳水準を維持していたにもかかわらず、たちまちこれを放擲して一般的な奪い合いに参加していった。“Service Above Self”の標語の如きは淡き月影ほどにも認められず、「自己保存第一」ということのみが人々の支持を買ったのである。

 

一般的に、実業界は邪道に踏み込んでいたと言い得る。消費者、競争者、あるいは被傭者の問題に関する実業道徳の水準は、決して高いものではなかった。「購買者自衛主義」が消費者に適用され、そうして競争者の悪意と不誠実とは、まさに破壊的な極点にまで達していた。

競争相手を傷つけるくらいのことは、奨励はしないまでも、正当なこととされていたのである。「購買者自衛主義」の標語に、「そして競争者を地獄におとせ」と付加してもよいのかも知れなかった。いわく「公衆は地獄におちよ」と。

 

ポール・ハリスは、まだシカゴの生活様式に完全には溶け込んではおらず、特に日曜日とか祝日などには、時として寂しさを感じることがあった。日曜日には、ありとあらゆる宗派の礼拝に加わった。それでも相変わらずハリスは孤独であった。多くの知合いがいるとはいえ、実際は、本当に親しい友達は殆んどいなかったのである。男達のための、新しいクラブを思い立ったのは、恐らくは、この頃だったのであろう。

 

他方、その構想はある夏の晩、彼を夕食に招いてくれた友達と、シカゴの郊外にあるロジャース公園を歩いていた時に生まれたのだ、という人もいる。公園を歩きながら、その友人が人に出会うたびに、「ジミー」、「ハリー」などとクリスチャン・ネームで呼びかけるのにハリスは気づいた。互いに交わす挨拶には真心があり、歓迎を示す微笑にはうそ偽りがなかった。ハリスは真の友人を求めた。人生の喜びを倍加し悲しみを半減してくれる、そういう友人である。彼の愛した引用句の一つで、いつも机の後ろの壁に掛けていたエマーソンの言葉がある。

「千人の友人をもつ者には、一人とて、いなくてもすむような友人はいない。」

 

ロジャース公園を歩いた時の思いが幾度となく去来した。公園での何気ない出会いで見られたあの屈託のない親しげな雰囲気、軽い冗談を言い合っている姿、そして皆がまるで互いに旧知の間柄であるように見えたこと。 

こうした光景を目にして、ハリスはどんなに深い感銘を受けたことであろう。しかも、彼らは単に友達であるばかりか互いに仕事の上でも取引関係にあるのだということに気づいた。これが今までハリスが求めて掴み得なかった、人間の絆というものだったのであろうか。

 

町の真ん中に商売上の友人をグループ単位で集めて、定期的に社交的な会合を開くのも悪くはなかろうとハリスは考えた。徐々にハリスの夢は実現に近づいていった。バーモントのことをまた想い出していた。そういえばそこでは様々な店の経営者や商人、知的職業人達がお互いに話しかけ交友を図っていた。クラブも同じような形式で成立すれば、一人一人が自分の特定の職業を代表できるのであるから、会員にとっては非常な利点ではなかろうかとハリスは考えた。

 

要するにそれは、【相互扶助クラブ】もしくは、ある批評家がのちに表現したように【背中を掻き合うクラブ】といったようなものであったが、一つ際立って重要な違いは、“親睦と友愛の精神こそがグループの基礎”となるのであるから、会員はみな“友情”あふれる人間でなければならない。これがこのクラブの理念であり、“善意と理解と奉仕へと発展”していく基礎であった。

 

ハリスは祖父母から教わった“寛容”についての教訓を想い起こして、早くから寛容ということもクラブの理念を構成する必須の要件であると心に決めた。

会員の政治的指向や宗教的な忠誠心に、制約を加えることなど、決してしてはならず、皆が互いの信条や意見に対して、広く寛容でなければならないと決意した。もし人間が、その仲間をそのありのままの姿で受け容れることができないのなら、交友も友愛もありえないとハリスは認識していた。

 

本質的にハリスが欲したのは、素朴で平穏無事な村の生活と、村人達の打ち解けた真の友情と、相互扶助の精神とを、広大な都市の社会環境に移しかえることであった。こうして、お膳立てができあがったのである。ハリスは漸く自分の考えを、試してみる準備を整えた。

 

1905年2月23日木曜日の夜は、身を切るように寒かった。空は晴れていたが地面は鉄のように堅く、川や湖には厚い氷が張っていた。

ポール・ハリスは、シルベスター・シールという石炭商の友人と、気楽に夕食を摂るその当日がやってきた。彼らは夕方早めの夕食を摂ることにした。なぜなら、その後でループにある事務所で2人の実業家と会う約束があったからである。彼らは、ループの近くにある「マダム・ガリのレストラン」で食事をすることにした。マダム・ガリの店は40年以上も前から、有名人たちに人気のある溜まり場であり、ひいきにしている店でもあった。

 

ポール・ハリスと友人は、ゆったりした気分で、美味しい食事を終えたのは、夕方のことであった。やがて話題は彼の最初のアイディアに戻った。ポールは言った。

「私は、実業家のクラブについて、ずっと考え続けてきた。それは、シカゴにある社交団体とはまったく違う、新しい種類のものなんだ。」

「それはどのように違ってどんな意味を持つものなのか?」とシールは尋ねた。

「そうだね。“知己”と“友情”を充分に強調したいのだ。しかし、それだけではなく、会員同士がお互いのビジネスを伸ばせたらいいと思う。それが難しいはずはない。例えば、2人の会員が同じ職業を持つことができないと決めればよい。そうすればクラブの中には競争相手がなくなる。しかし、もし会員の誰かが品物やサービスが欲しい時には、クラブ内の人と取引する義務を持たせたらよい。相互扶助の一種だけれど、君はどう思う?」

 シルベスター・シールはこの考え方に好意を示した。彼らは更に突っ込んだ議論をした。それは、確実に約束された大きい報酬が得られるように思われた。シールは、多くの新しいビジネスがそのようなクラブを通じて、皆を潤すに違いないと言った。

 

まもなく彼らはマダム・ガリの店を出て川を横切り、近くにあるユニティビル711号室のガスターバス・ロアー(鉱山技師)の事務所に行くと、ロアーとハイラム・ショーレーが彼らを待っていた。ショーレーは仕立て屋であり、ポールは数日前に彼に、クラブ結成の考えを述べていた。ショーレーもまたそれに興味を示した。ロアーはむしろ気楽に最初の討論に参加した。その夜、ロアーは自分専用の事務机の椅子に座った。他の者は座れる場所を探して座った。

 友人達を見て、微笑んでいたポールは、突然、緊張した面もちになって話し始めた。

「ハイラム君。君は我々の新しいクラブの中で、仕立て屋という職業を持っている。私は弁護士である。それぞれのメンバーは、自分自身の職業を持ち、我々はお互いに、自分の職業を活かした取引きをする。というのは、どうだろう。」

彼は熱心に話した。四人の友人たちは、興味をもって話し合った。

 

ハリスは、ラグルスという印刷業者が、このクラブに加わるに違いないと思った。ロアーは、トュニソンという生命保険業者が、見込みありと睨んだ。シールは、洗濯屋を営んでいる、アーサー・アーヴィンに見当をつけた。すぐに1ダースにのぼる会員候補者の試験的なリストが出来上がった。4人の会員が各々3人の新入会員を推薦して、承諾を得ることを決め、更に2週間後に2回目の会合をウルフ・ビルのハリスの事務所で開くことを決めた。

 

190539日に開かれた2回目の例会では、再びクラブの主旨と可能性が討議された。事業の経営者、共同経営者、または会社役員でなければ会員になれないことが決められた。更にこれからの会合の持ち方についても議論を闘わした。

「個々の会員の事務所で代わる代わる例会をしては?」ハリスはそう提案した。

「その方法なら、我々それぞれは、すぐお互いの職業に対する詳しい知識がつくはずだ。持ち回りという取り決め事はすばらしい。」

 その考え方は重要だと思われたので、採用された。そして、例会は楽観的な雰囲気の中で終了した。

 

2週間後、そのグループは、ステート通り12にあるシルベスター・シールの事務所の石炭置場に約束通りに集まった。この3回目の会合で、ハリスは、リーダーを選挙する時期であることを提案した。

もちろん、誰もがポールのことを思い浮かべたが、彼は、自分は組織を作り上げる人であると言って譲らなかった。ポールは、その夜のホストに敬意をはらって、シルベスター・シール会長の名前をあげた。ショーレーは記録担当幹事に、ジェンセンは連絡担当幹事に、ラグルスは会計の仕事が割り当てられた。  

すべての役職は、満場の拍手をもって選ばれ、シール会長は激励と善意についての短いスピーチをした。

 

これがロータリーの始まりである。孤独な4人の人間が、彼ら独自の、彼らなりの交友を求めたのである。ハリスが彼らに申し出たのは、交友はもちろん、それにもまして単純な相互取引という手段を通じて、各会員が互いに大きな利益にあずかれるような、そうしたグループであった。

ハリスは当時、交友と相互の利益という“2つの動機”以上のことは何ら話題に出さなかった。シカゴこそ、まさにふさわしい場所でした。そして、ポール・ハリスこそ、まさにその人でした。

 

この3回目の会合で、新クラブの名称が検討されたが、この時の会合が、ロータリーの歴史でもっとも魅惑的で愉快な一章を画している。すでにいくつもの提案が出されていたが、そのうち幾つかが、真剣に討議された。『ロータリー』(Rotary)という呼称は、クラブの会員がお互いの事務所で、代るがわる一種の交替システムで、会合をもっているということに気がついたのは、ハリスであったといわれている。それでは、ロータリー・クラブと呼んではどうか、ということで『ロータリー』という呼称が誕生したのである。(Golden Strand・田中 毅訳より一部引用)