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上郡ロータリークラブ WEEKLY REPORT 2007〜2008年度 ROTARY SHARES |
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会 長 武者 信 例会日 毎週金曜日 12時30分〜13時30分
幹 事 大岩 敏彦 例会場 上郡町商工会館2階
会 報 浅野 一裕 事務局 上郡町商工会内 TEL 0791-52-3710 FAX 0791-52-3833
E-mail:kamigori@gold.ocn.ne.jp http://kamigori.ri2680.org
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2007年8月3日 VOL.45 No.5
点鐘・ソング
「君が代」「奉仕の理想」
来客紹介
姫路独協大学教授 實川幹朗 様
歓迎歌
おなかがへる歌
出席報告 柳原 義宏委員長
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会員数 |
出席 |
MU |
免除 |
欠席 |
出席率 % |
前々回修正出席率 % |
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25 |
19 |
3 |
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3 |
88.0 |
88.0 |
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お祝い 会員誕生祝 浅野会員 配偶者誕生祝 松田会員 箸蔵会員 武者会員 麻植会員 |
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会長の時間 武者 信会長
今月は会員増強月間です。今年度の予算をご覧頂いても分かるとおり、当クラブにおいては会員増強が当面の急務であります。会員増強委員長を中心に「みんなで助け合い、支えあう」気持ちを持って会員全員で会員増強に取り組んでいただきたいと思います。クラブの運営上、二、三年後には会員数を三十名にしたいと考えておりますので宜しくお願いいたします。
さて、本日はかねてより計画しておりましたとおり、姫路獨協大学の實川教授にスピーチをお願いしております。大岩幹事とはご近所ということもあり、以前からお名前は存じておりましたがスピーチをお願いするきっかけは私が昨年相生商工会議所の相談員として派遣されました際、相生RCの週報に實川教授のスピーチが掲載されているのを見つけたことでした。本日はなかなか聞けないお話を拝聴できると楽しみにしております。
ロータリー豆知識
IM(都市連合会)
従来のIGFも厳密にはIMの中の一会合であるが、最近広義のIMの名称で開催される。近隣都市数クラブが集まって開かれるロータリーの会合。討論の主な内容は、4大奉仕部門をカバーしつつロータリーの特徴やプログラムなどを検討する。クラブ会員、全員参加のこの会合の目的は会員相互の親睦と知識を広めることであって、さらに会員にロータリー情報を伝え奉仕の理想を勉強するために開催される。決議や決定はない。
幹事報告 大岩 敏彦幹事
○直前ガバナー事務所より、2006−07年度GSEの報告書が届きました
○ガバナー事務所より
1.新潟県中越沖地震義捐金のお願いが届いています
2.新会員研修資料作成に関するアンケート集計結果の報告が届いています
3.米山月間の行事についてのお願いが届いています
○安全・安心のまち住民大会の開催案内が届いています
場 所
○ロータリーの友事務所より「ロータリーの友 手引書」が届いています
○姫路RC・姫路南RCより例会変更のお知らせが届いています
○こころ豊かな美しい西播磨推進会議より「ネットワーク115号」が届いています
○例会終了後、理事会を開催しますので理事の方は宜しくお願いします
委員会報告
職業奉仕委員会
会員の皆様にアンケートをお配りしていますので、9月の第一例会までに記入して提出お願いします
SAA報告 辻 洋一郎SAA
ニコニコ箱・親睦箱
武者会長・・・待望の實川教授をお迎えして 宜しくお願いします 妻誕生日 自祝
大岩幹事・・・實川先生御講演宜しくお願いします
山本会員・・・お客様の實川先生をお迎えして
昨日の道の駅コンペ多数参加くださり有難うございました。ベスグロ自祝
麻植会員・・・妻 誕生日 自祝
松田会員・・・妻 誕生日 自祝
半田充会員・・實川先生をお迎えして 分娩があるので早退します。すみません
杉本会員・・・實川先生をお迎えして
河本博会員・・實川先生をお迎えして スピーチ宜しくお願いします
徳田会員・・・實川先生をお迎えして
東 会員・・・實川先生をお迎えして
大澤会員・・・實川先生をお迎えして
柳原会員・・・實川先生をお迎えして ご苦労様です
浅野会員・・・本年とって63才になります。なんとかガンを克服して飛躍の年にしたいものです
森 会員・・・八月の初例会を祝して 台風も大きな被害がなくてよかったですね
小谷会員・・・實川先生をお迎えして
7月29日より五人家族全員で夕食をいただいています。三人のコロコロと笑う声がいいですね〜
辻 会員・・・實川先生をお迎えして
ニコニコ箱 16,000円
親 睦 箱 10,000円
合 計 26,000円
| 本日のスピーチ いま、子供と若者に、私たちのできること |
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近ごろ、青少年にいろいろと問題が発生していると言われます。いつの時代にもそうなので、とくに最近のことではありません。しかし、それぞれの時代に、そのときの問題の特徴が出てくると考えています。
現代のわが国では、教育問題が重大と言われます。学校では生徒が荒れ、「ダメ教師」が増えているとも言われております。どうしてこうなったのでしょうか。私は、問題の根源は、学校が教育のすべてを抱え込もうとしたところにある、と思います。できるはずのないことを引き受けたわけです。
かつて、地域の中には、いろいろな形での、青少年の居場所がありました。若者宿とか若者組などと呼ばれる組織もその一つです。地域によって名前は違います(私のいま住んでいる相生では、「ともだち」という組織が最近までありました)。多くの地域では、数えで十五歳くらいになったら、若者はもう両親の家では寝ない。夜は、若者どうしで別の時を過ごす。十代後半の若者というのは、本来、家庭の手に余るものなのです。
若者宿などは、若者の親への反抗に対処しつつ、大人の心得や村の掟を教育する方法でありました。大人からだけでなく、子供から子供へ、若者から若者へと受け継がれる文化、慣らわしがあったのです。子供の集団の遊び、盆踊りや祭りなども、地域教育の一環です。
けれども、明治以来の日本の教育は、そういうものを「野蛮」だと、潰そうとしてきました。学校ではピアノ伴奏で、西洋音楽しか教えません。祭りの歌や踊りや笛などを受け継ぐ機会が少なくなりました。夜、祭りに行くのは非行化の原因、酔っ払いは見苦しい、祭りで学校を休むのは怠学、などと言うわけです。警察が取り締まりました。酒など呑むのは以ての外、「不純異性交友」は補導の理由です。他にも、様ざまな要因がありますが、地域教育はいまや、ほとんど壊滅状態と言ってよいでしょう。(この復活を目指す点で、トライヤル・ウィークは評価できます。)
それで、学校がすべて教えられるかといえば、できない。学校というのは、文部科学省の決めたカリキュラムで運用されるので、それ以外のことはできない仕組みになっているのです。もちろん、お役人が完全な教育マニュアルを作ってくれるはずがありません。問題の根本解決は、いくら学校をいじってもダメです。学校以外のところでの教育が再生してこなければいけない。政府も、教育の問題と言えば、すぐに学校しか考えないところに、もう問題が現われているのです。
それでは、学校以外のところで何を教えるのか。学校の教科の続きをやっていたのではいけません。学校では教えられないことを教える必要があります。
まず教育の姿勢ですが、明治以来、子供や若者は無垢で無知な、白紙のようなものだから、大人が知識や技術を書き込んで一人前に形成するのだ、と概ね考えてきました。こういう教育観は、もう捨てる必要があります。むしろ昔からの、私たちの祖先の「うぶすな」の教えこそが、かえって新しいのです。子供にも若者にも、その年齢でなければできないことがあって、大人も教えられ、育てられてゆく。「お互い様」という思想の一部です。子供は神の使いで、神意を伝えるとさえ考えられていました。カゴメカゴメという遊びはその名残です。子供や若者を、心の底では敬っている心構えが感じられてこそ、大人からの教えも叱責も彼らに届きます。
学校では、何か特定の目標を決めて、その到達度を競うという考え方で教えています。記録や、金メダルの個数などが争われるスポーツでも同じことです。こういう方針ですと、必ず勝ち組みと負け組みが出ます。そこから歪みが生じます。運よく勝ち組みに入れる人でも、そこに至るまでには我慢を強いられます。努力は尊いことですが、結果の達成に価値を置く考え方では、結果が出るまでは「準備期間」であって、それ自身は無意味なことを続けなければなりません。結果が出なければもっとひどい話で、「いったい何のために」「どうせ俺(私)なんか」となります。荒れても当然でしょう。
学校外の教育は、「いま、ここ」でしていること、いま、そのままの子供、若者たちを大切にするものでなければなりません。それには仕事や芸など、いろいろなものがあります。しかし時間もないので、大切なのに忘れられている点を、二つだけ言います。いずれも、昔、若者宿で教えられたことです。
一つは酒を呑んで、酔うことです。昔の村では、祭りには子供でも酒を飲みました。今でも、儀式的に一口飲んだりしますね。酒に酔うのは理性を忘れる罪深いことだという考えは、キリスト教、とくにアメリカなどで盛んなプロテスタントの考えです。それが世界中に通用するわけではありません。日本人は、酔っ払いを含めて、おかしな状態、変わった人にも、単なる異常、困り者ではない、受け止めるべき意味を認めてきました。人間はいつでも謹厳実直ではいられないし、異常な状態のときに、神や祖先の言葉とも思われる、意外な知恵を伝えたりしました。異質なものの排除は、息苦しい社会を作ります。志村ケンの「変なおじさん」は、そのあたりを巧みに表現しています。
もう一つは、色事です。こういうことは、実地で教えなければわかりません。人間は機械ではないのですから、模型を使った「性教育」などで、大切なことが伝わるはずはありません。隣の岡山県で聞いた話ですが、大正時代に、若い娘が姉から「川に行こう」と誘われたそうです。ついてゆくと、姉はいきなり「来るか来るかと川下見れば 土手の柳の風ばかり」と歌いました。すると、遠くで男の声がして、別の歌を返したというのです。逢い引きの実地教育でした。
明治の始めまで、いや、場所によっては最近まで、子供たちは大人の色事の世界から、隔離されることはありませんでした。なにしろ、お祭りの中には色事が満ちていて、神様自身さえ、それが大好きだったからです。(上郡でも「筆塚」は、ほんとうはヘノコ<男根>を表わすのだとのお話を、後で会員の方からお聞きしました。)そういうなかで、子供なりの判断で、自然に身に着けていったのです − 「子供の聞く話じゃない」などと隔離しておき、十八歳からいきなり「いいですよ」で、何ができると言うのでしょうか。少子化問題のもとも、この辺にあるはずです。
最後に、地域の教育を担うのは特定の人だけではありません。誰でもに責任があります。しかし、指導的な立場にいてゆとりのある、皆さんのような方々が、中心になって動くのが一番です。かつての若者宿には、中年の、「昔の若者」が必ず世話役として関わっていました。先輩から後輩への、また同輩間の、若者同士のやり取りが中心ですが、大先輩だから伝えられることもあります。ここぞというときには、大人の力が必要でもありました。
ロータリークラブは、奉仕の精神で、倫理を大切にされると伺いました。倫理というのは、必ずしも「お堅い」ことだけを言うのではありません。「ハード」面だけでなく、是非このような「ソフト」の面にも、お力を注いでいただきたい思います。