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3.奉仕の理念
(ROTARY ?)
この職業倫理基準は、我々に共通した人間性に基づく思いやりを心に留めるものである。職業上の取引や野望や諸関係は、常に社会の一員として自分が果たす最高の義務を考慮すべきである。
職業生活のあらゆる場面において、また、自分が直面するすべての責任において、最初に考えなければならないことは、その双方を終えたときに始めて果たされる責任と義務を満たすことである。人間の理念と業績の水準を、それに気づいたときよりも、少しでも高めなければならない。
「すべて人にせられんと思うことは、他人にもその通りにせよ」という黄金律の普遍性を信じ、我々が、すべての人にこの地球上の天然資源を機会均等に分け与えられた時に、社会が最もよく保たれる。
親睦と利益を促進するために、共に集った実業家と専門職種の人々のグループは、利己的な目的を持った組織であるという非難や、組織の内外からの会員の関心の高まりや批判に対して、強い衝撃を受け神経質になった。
彼らはそのような非難を受けた会員たちの関心を刺激する方法として、何か地域社会のためになることをしなければならないと感じた。1907年のシカゴ公衆便所計画はその直接的な結果となったものである。
その後まもなく、何人かの会員は、販売術と宣伝の専門家、アーサー・フレデリック・シェルドンの考え方によって、確実によい影響を与えられた。
例え他のロータリアンたちが、利潤追及のスローガンではないと訴えたとしても、もともと、『サービス』という言葉は販売学上でいう事業上の利益から生まれたものである。
シェルドンのスローガンは、1911年の年次大会で公式に採択されて、ロータリーの輝かしいモットーとなった。その当時、およびその後当分の間は、多くのロータリアンにとってこのスローガンは、事業の動機を覆い隠す糖衣錠のような、魅力的なものであったに違いない。
事実、このスローガンは、奉仕の前提に利益を置き、利益を得るための方法を奉仕だと定義づけている。時が経つにつれ、この考え方はロータリアン自身からの批評をうけて、“He who serves best profits most”に変更しようという提案すら検討された。
ロータリーの奉仕理念は、社会的な良心と、個人個人の人間性の中に本能として存在する原始的な衝動との間の、相関関係によって生まれたものであると言うに違いない。これが、“昇華”と呼ばれる過程である。
この問題に役立つ分析をするためには、昇華の過程が結局はその最終点まで進むか、それとも多くの人たちや状況が、どの段階で立ち止まるかを認識する必要がある。
しかし、20世紀には、利益や高利(利子)は罪作りなものだとは見られておらず、それどころか、合法的に許されたものとして認められており、彼らの存在は必要不可欠なものだと経済学者は考えているのである。
しかし、我々の文化(そのほとんどは、先人から引き継いだものである)の道徳的な価値の下では、実業家自身は、無意識のうちに、奉仕という言葉で自ら偽装しながら、利潤を得たいという動機とそれに相対する道徳的な清廉さとの間で真剣に悩んでいるのかも知れない。従って、利益を放棄するように行動することは、まったく不可能なことなのである。
すなわち、分析心理学者は、ここに昇華の過程の一部があり、ここに、ロータリアンや非ロータリアンに共通した奉仕理念に対する、多くの基本的な批判が横たわっていることを述べているのであって、ここに、サービスを偽善とか自己欺瞞と呼んだ、メンケンやシンクレア・ルイス一派の批評家たちの跋扈を可能にした矛盾が潜んでいるのである。
奉仕理念は歴史的にも心理的にも、利益誘導が発展したものであり、ほとんどのロータリアンの真意は、利益を得たいという反応を放棄したのではなく、むしろ利益に対する動機を修正したに過ぎないのである。
奉仕が利益を促進することを証明する素晴らしい方法として、利益の考え方の意味が最も自然な形で再構築されたのである。
モットー自身は最初に利益を置き、利益を得るための方法として奉仕をあげている。この姿勢には偽善がまったくないものの、奉仕理念に対する精神的な熱狂ぶりをかき立てるわけにはいかない。
次のレベルにいるロータリアンは、儲けようという利己的な動機と、社会に奉仕しようという動機は、ある程度対立するものの、ロータリーの効用によって両者を共に推し進めることで、調和が保たれることを認識している。
奉仕に対する熱心さは、利益を得ようとする熱意やその衝動と直接比例するものであることを指摘している。
3番目のレベルにいるロータリアンは、利益を合法的なものであり望ましいことであると認めるに違いない。奉仕をするために、ロータリアンが利益を放棄する必要はまったくないし、利益とは儲けるために砂糖をまぶしてごまかすことではなく、それ自体が理想的な価値を持つものなのである。
ロータリーを奉仕団体として受けとめ、もし奉仕と利益が矛盾する場合には、利益を捨てて奉仕するために自らを捧げるに違いない。
正当な利益と奉仕は両立する
この報告書の前提は、正当な利益は完全に合法的なものであり、ロータリーの付き合いは、事業上の目的のために合法的に活用すべきだということであり、さらに、会員の職業や地域社会や母国や世界に対するロータリーの奉仕は、儲ける手段とか、利益誘導の隠れ蓑などという見方とはまったくかけ離れた価値のある理念であるということである。
理性的な観点から、そのゴールは、儲けるための奉仕でも儲ける代りの奉仕でもなく、奉仕と利益とは、それ自身がお互いに無関係な、素晴らしい特徴を持つものなのである。
この概念によると、奉仕の最高の理念は、利益を得るために品物を売ることを通じて顧客に奉仕をすることではなく、利益と考えられることすべてから縁を切って、その人の仲間や地域社会の人々に奉仕することである。
顧客に対して奉仕することは、望ましいことには違いないが、その目的は個人的な利益を得ることなので、公正な取引に関する一般的な商道徳と制定規準に基づいたロータリアンの良心を備えている、個々のロータリアンに任せるのが最善であろう。
しかし、顧客にサービスをするための奉仕と、社会のための奉仕とは別の問題である。これは、すでに述べたように、より広くより高いロータリーの理念である。
ポール・ハリスは次のように述べている
現在のロータリーにおいて、長年使っている表現が余りにも保守的な言葉や言いまわしを、頻繁に繰り返すことから逃れようとしても、余りにも成長し過ぎてしまった感がある。
『役に立つ』という言葉は、うぬぼれの少ない言葉であり、多分『奉仕』よりふさわしい言葉である。
ロータリーは、実業家の組織と実業家たちを地道に歩ませるものである。