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2.
親睦の理念
(ROTARY ?)
会員間の親密で心のこもった個人的な関係を深めることに失敗した組織は、組織としての社会的な目的を達成することは不可能である。
絶えず社会にとって役立つことを実行しているグループでなければ、感情の統一、親睦の絆、高い道徳観、忠誠心や団結心などを高めることは不可能である。
ロータリーの活動は、その会員と表明している目標の点で、これらの両極端の真中に位置しており、会員間の親睦よりも社会に対する奉仕の方が、より一層重要であるという組織を作るべきか、社会に対する奉仕よりも会員間の親睦の方がより重要であるという組織を作るべきかという、輻輳した目的の間に立って、どちらかといえば、不安定な平衡を保っている組織とも言えよう。
最初の目標設定では、集団としてのクラブによる社会的な活動が検討されたものの、1922年以降における目標設定では、僅かばかりの、クラブとしての団体活動が強調されてはいるものの、個々の会員による奉仕に対する自己開発や教育や啓蒙や修練に重きが置かれるようになってきた。
現在国際ロータリーは、ロータリーの哲学は、ロータリアンの個々の行動と指導力に影響を及ぼすことに意義があるのであって、ロータリー・クラブを通じたロータリアンの集団による活動は、それに関連する二次的なものに過ぎないということを認めている。
このことは、あたかも、選手個人個人とチームが連帯感を持たなければならないように、団体と個人の行動は、双方がバランスを取りながら成功に導くことが必要であるという原則に基づいた、1922年9月のトレッドウエルとウエストバーグによる組織管理手続計画以降においても、シカゴ・クラブの前提とはなっていない。
各々のロータリークラブの全体的な道徳の比重は、彼らの毎日の取引や、彼らの同業者組合や専門団体にロータリーの原則を地道にそっと波及させているこれらのロータリアンにかかっている、という事実を強調するために、ある解説者は、青少年活動や偶発的な慈善活動や些細な社会奉仕などのようなロータリーの散発的な試みは、
「真のロータリーの使命と比べると、塵のようなものに過ぎない。」
と述べている。ロータリーの本質は、付随的な博愛行為によって、いささかの影響も受けていないのである。
ロータリーの弱点とは何か?
ロータリーの体質的構造にあるのか?
アメリカにおける運営にあるのか?
ロータリーの弱点は、ロータリーが多くの会員たちにとって、単なる手段であり組織に過ぎないという事実にある。ロータリーに忠誠を尽くすのは、会員個人個人の義務である!
ロータリーはロータリアン自身にかかっていることを確認しているロータリアンは、そう多くはない。
騎士道にも似たロータリーの精神は、活動することによって対価を得るのではなく、活動することによって正義感を得ることであり、対価として支払われるものは精神的なものである。
あなたの行動があなたを真のロータリアンにする。あなたがロータリアンであることを、他の人たちに認識させなければならない。
このような方法によってのみ、ロータリーは、強力な指導者、勇気ある人、殺伐とした環境の下で起こる失敗や間違いを取り繕おうと、頭を悩ましながら、結局はこの文明を維持していかなければならない立場にある、雄々しい実業家として、錦の御旗を掲げながら前進することができるのである。
会員同士が、共に親睦の絆で結ばれていない組織は、団体としてとか、会員個人個人としてとかにかかわらず、地域社会に効果的な奉仕をすることは不可能であり、さらに、会員たちが大規模な奉仕活動に従事している組織は、必然的に、協同の努力と経験を分かち合うことを通じて、心の通い合いと協力を深め、共通な目的を遂行するために、共に行動している人の間の親睦を深めていくものである。
しかし、別な見方をすれば、親睦に類するようなことは、奉仕理念との直接的な関連性はまったくなく、事実、奉仕理念を効果的に実行する妨げになると考えられていることも容易に想像できる。
いたずら気分の少年のように、友情あふれる「よい仲間」としてのグループは、団体的にも個人的にも、一般の社会に奉仕をする必要性のない、社交とか親睦といった動機によって団結するものなのである。
会員の大多数は、奉仕の理想の実現に向けた個人や団体として、ささやかな感動を現実に達成するために、自らが開発した親睦がもたらしてくれる、暖かく深い個人的な思いやりのある行動によって、共に結ばれているように見うけられる。このタイプの親睦は、まったく望ましいものであると共に、本来そうあるべきものであり、奉仕の理想の一概念として、精神的な基盤を構築しているのである。