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ロータリーの役割
(ROTARY ?)
1. 最初の刺激
生き生きと育っていく社会的な活動や施策は、必ず、新しい人たちや新しいニーズに自ら適用していくものである。
施策というものは、その時点における会員が、それをどのように定義したら良いのかはっきりと分からなくとも、基本的に真の社会のニーズを満たすものならば、しばしば成長して実を結ぶものである。施策を遂行するためのニーズを理解することは、原則と方針を再構築するための基本とも言えよう。
しかし今回のケースでは、シカゴ大学社会科学調査委員会は、彼らの分析が活動を確定する基礎として役立つという、特別な任務と稀な機会を与えられた。
従って調査委員会は、特にロータリーがこれまで演じてきた、また演じようとする役割の社会的な意義を、できるだけ明確なものにしたいと考えている。
委員会としての考え方は、会員(入会していない人も)に一定の満足を与え、その地域社会における社会生活に対して不可欠な役割を果たしている、既存の社会的な活動に関する事実について、いかなる判断を述べることにも関心を抱いていない。
この調査の目的は、“満足”とは何であるか、“役割”とは何であるかを、明らかにし、確認することによって、自らの限界を知ることである。
精神的な運動をすることが本質的なことであるという考え方は、ロータリーの創立者や指導者たちの発言の引用からも明らかである。
これが真実であるという証拠として、ロータリーは、すべてが未来永劫に変わることのない、偉大なる運動に自らが邁進しているという考え方や、何人かのシカゴ・ロータリーの会員がしているように、『Service above self』 という注目すべき立場に立っている会員の熱意という、素晴らしい便りを運ぶ炎のような情熱と、熱い心を持った精神的な運動であるという、幾つかの特徴を示している。
社会現象を分析する立場から、精神的な運動で大切なことは、自らが魅力を感じている人々と共に計画を練ることである。
活動が教会の組織と同じような形を取っているか否かにかかわらず、これはまさしく真実であり、結束したある種の新しい概念によって、会員として自らを認識することができるように、集団に方向性と親睦をもたらすような、象徴やスローガンや価値や理念やその他の形として備えられているものである。
各人の多岐にわたる精神的なニーズに対して奉仕すること、これはロータリーの精神的な活動として順当な活動でもある。
ロータリアンに対する、ロータリーの独特な意義の一つとして【親睦】があり、次に【リクリエーション】があり、3番目に【教育】がある。
その他にも、【事業上の付き合い】、【個人的信望】、【奉仕の機会】、【交友関係の促進】などがあげられる。
この手法は、運動体としてのロータリーよりも、人間としてのロータリアンという考え方であり、現代の世界の趨勢は、単に理屈をこねるよりも、人間を磨くことを必要としているのである。
この観点から、すでに指摘したようにロータリアンは、現代社会における限定された企業の経営者や専門職、都市の商業や工業や金融業の経営者や支配人といった階級の人たちから選考されていることは明らかである。彼らは、現代の歴史家や社会科学者によって中産階級と名づけられた地域社会の階層に属している。
このことは、次に示す通り、ロータリーの社会的な意義は、ロータリーが会員を選考した階層の現代社会における地位という点と、このグループ内で発展した個人的な関係の絆という点に限って、理解することができるということで、譲歩すべきことなのかも知れない。
ロータリー活動は、他の場所と同じように、ここでも、アメリカ社会における経済力や政治力の恩恵を受けて存在する、主に受益者の集団とでも言うべき実業家と専門職種の人たちによって構成されていることは、間違いない事実である。
個人個人が、財産と職業のおかげで、農夫や賃金労働者などのその他のグループとは別なものとみなされる、社会的経済的な地位を作り上げていったのである。このグループは、私有財産と経済的な取引によって得た利益に依存している、すべての現代社会に存在するものであり、すべてが民主主義的な条件の下で、経済的政治的な威力を発揮するロータリーの源ともなっている。
ロータリーは実業家と専門職種の人たちの親睦のために、彼らの訴えかけによって作られたものである。採用する計画や、乗り出そうとする未来を切り開く道がどのようなものであろうとも、実業家と専門職種の人たちの組織であり続けることは、まず疑いの余地はない。
その意義は大いに主張すべきであり、実現可能な究極の目標は、現代の社会制度の中で生活する実業家や専門職業人の、心構えや行動や考え方や関心や必要性などの中から見つけ出されるに違いない。
ロータリーの起源から見ると、その活動が起こった当初の実業家と専門職種の人々の生活における最も重要な特徴として、3つの事柄をあげることができる。
(1) 20世紀初頭の社会における実業家と専門職業の人々は、彼らの職業上の活動を通じて個人的な利益をあげることが、動機の大きな割合をしめていた。
(2) 高度な個人主義社会の中で生活し働くことは、とりもなおさず、個人や会社や法人の間における、売手と買手、雇用者と労働者、協力者と競争相手の間に冷たい非人間的な関係をもたらすような個人の自由意志と主導権が、どちらかといえば大きな役割を占めている、自由競争によって特徴付けられていた。
(3) これらの二つの事柄のため、実業家と専門職業の人々には、集団としての責任感や、心のこもった対人関係に基づいたグループとしての団結心などの感覚が欠如しており、過酷とも言える個人主義社会の勝利者として立派な存在であるにもかかわらず、いつも寂しさにさいなまれ、社会的な好奇心を満たすことに満足できない、社会や経済界の孤立した立場に自らが立たされていることを常に自覚していた。
これらの考え方は、ロータリー活動が、他の世界に対して驚異的とも言える急速な拡大を成し遂げたことを理解するための、手がかりを与えるものと思われる。
1905年から1906年にかけて、ハリス自らが集めた小さなグループは、伝統や社会的文化的なまとまりや、人々が共に歩んでいこうという他人との連帯感を著しく欠いた、新しく急激に膨れ上がっていく大商業都市の特徴的な社会関係にある寂しさや、非人間的な冷淡さから逃れたいという要望によって、大きな生命の息吹を吹き込まれた。
商売や専門職の同業者組織が広まる前は、競争は激烈で、しばしば苦々しい思いすら抱かせるものであり、事業家や専門職種の競争相手の間で、親睦とか真心を気遣うことは極めて困難であった。
実業家に与えられた使命は、友情ではなく、より活動的に商売をすることであって、友情を培うことは、市場における競争相手がいない人々の間に限って可能なことであった。
創立者がこのこと気づいていなかったか、またぼんやりと気づいていたかは別にして、【職業分類】の考え方の心理的な基礎はここにある。
自由と友好的な開拓時代の頃のことが、年取った住民の思い出の中に鮮やかに残っているアメリカ中西部の新興都市に、この考え方が最初に根をおろしたことは、別に意外なことではない。
しかしこの運動は、シカゴ・ロータリークラブの源となった創立者のうちの何人かにとっては、競合のない実業家たちの間の付き合いを進めることによって、利益を増やすように計画されているように思われた。
ざっくばらんに言えば、寂しさと非人間性から生まれたニーズに対して、社交的に述べられた新しい方法によって作り出された社会的な動機が、まさしく、利潤という目的によって、直ちに支持を受けたのである。
彼らの間で注文や契約や得意客を交換して、彼ら自身の事業や専門職種を伸ばしていきたいという要望や、友情やほのぼのとした個人的な付き合いをすることは、孤立していた実業家と専門職種の人々としても、心から望んでいたことであった。
これらの目的を達成することができる組織は、あらゆる場所にいる実業家と専門職種の人々の訴えを成就させなければならず、この動機こそ、シカゴ・ロータリークラブや国内や国際的なロータリー活動の驚異的な成長に、決定的とは言わないまでも重要な役割を果たしたことは疑問の余地がない。
たとえ、それ以外の動機によって役割が果たされたとしても、会員たちが親睦を深め、取引を増やす機会を見つけなかったら、活動がこれほど成長したはずがないと言っても、言い過ぎではない。会員たちの利益に対するニーズと社会的なニーズが、同時にかなえられたことによって、ロータリーは生き残り、広がっていったのである。
しかし、ずっと最初の頃から、3番目の動機、すなわち後に、『奉仕』という言葉によって象徴される動機がその役割を演じていた。
1900年代の初頭、シカゴの実業界で流行っていたというより、産業革命以来の西欧社会において、大なり小なり一般的に行われていたやり方では、商習慣の厳しさと無法ぶり、ごまかしや不誠実さ、無制限で節操のない利潤の追求、市制への無関心さや政治の腐敗などが伝わってくるだけで、ただ単に実業家としての社会的な本能に飢餓感を生じさせ、個人的な孤独感をつのらせるだけであった。
これらの芳しくないやり方は、健全で寛容さを持った社会的に敏感な市民の良心に、自ら痛みを刻み込ませるものであった。
「1905年2月23日は精神的な日であった。正義の力が不正に対して果敢な戦いを挑んで、社会の大きな嵐が白いしぶきをあげていたシカゴこそ、ロータリーの誕生にとって最適の場所であった。」
町を蘇らせる望みを託されて、商習慣や政治的な行動に対して高い理念を掲げながら、奉仕の機会を提供する活動や組織は、有利な条件を備えながら、社会の考え方に満足していないこれらの実業家や専門職種の指導者に、当然のこととして、力強く訴えかけたのである。
ここに、『親睦』と『利益』という機会がなければ動き出さなかったかもしれない、何人かの人々の活動を誘い出した、3番目の動機があったし、更にここには、具体的な事実を示すことによって、共通の目的である『奉仕』に対して、社会や市民生活における親睦の必要性を示すという動機もあった。
更にこれは、その背景にあった利益を得るために集まってくるという動機を進化させて、全体の活動の道しるべとして誘導する動機となって、初期にその可能性があった崩壊からクラブを救ったのである。
このように、ロータリーは明確な3つの動機づけから成り立っていたが、これは長所と短所を併せ持っていた。
3つの動機の長所は、実業家や専門職種の指導者たちに、共に活動しようというすさまじい求心力を与えると共に、グループを結合させるためのすさまじい行動力を与え、行動する会員たちに活力を与えたことである。
3つの動機の短所は、まったくといっていいほど首尾一貫しておらず、調和がとれていないこと、理念と目的を論理的に融和させる筋書きが、簡単には理解できるものではなかったことである。
『親睦』と『利益』とは決して相反するものではない。『親睦』と『奉仕』とは相反するものではなく、実はお互いに補い合うものなのである。
しかし、『奉仕』と『利益』とは相性の悪いものであり、少なくとも、外部の多くの批評家の意見は、自ら奉仕に貢献しながら利益を追求する団体として、偽善者としか写らないものであった。
これらの3つの目標は、会員の心の中でも、お互いに葛藤を繰り返している。
古い一派に属する小集団は、最初に『利益』を置く立場を貫こうとするし、一般会員からなる大部分のグループは、活動を導く原則として『親睦』の必要性を強調する。
事情を理解した指導者を含むその他の人たちは、『奉仕』の理念を強調しながら、大なり小なり成功した、古くからある親睦と利潤という動機を組み合わせたこの理念に基づいて奉仕する活動を、具体的な形で表わしていった。
この経過の中で、利益という動機は当然のことながらロータリーの文献から追放されて、少なくとも大多数のロータリアンが口にすることはなくなった。
親睦は、多くの指導者や会員たちの間では奉仕に次ぐものとされ、全体としての奉仕理念の中では、親睦を育むとか、深めるなどということ以外には、あまり大きな意義を持たないものになってきた。
実業家と専門職種の人たちに対する、ロータリーの基本的な主張を考慮したこれらの相互関係の実地調査は、シカゴ・ロータリークラブと、一般的なロータリー活動の現在の問題点を明らかにすると共に、会員と地域社会に対するより効果的に役立つ活動を、さらに完成に近づけるためには、何が必要であるかを示すために、大いに役立つに違いない。