好 期 到 来

(ゴールデン・ストランドよりE)

 

 我々がクラブの進歩を充分に理解しようとするのなら、その前に、クラブが進歩するように指導を続けてきた人々の職業や内に秘めた感情や個性などの、多くのことがらを知る必要がある。

 

我々にとって最善の道は、新しい会員のために手を差し伸べることを学ぶことかもしれない。たぶん、創立者達は選択に際して、単に入会の意志がある人ではなくて、会員としての能力のある人を選ばなければならないことを、直感的に悟っていたに違いない。その重要性はいくら強調したとしても、し過ぎることはない。

 

クラブの創立者たちは、ありのままの現実の作業に従事していた人々であり、これらの人たちは荘園の領主ではなく、日雇い労働者に近い商売人であった。

 彼らがそのようにして、新しいグループをこのような下層階級lowerの水準で作り上げたことは、たぶん、奉仕クラブの活動の歴史における最も幸せな事実に違いない。

 

我々は、19001910年代のシカゴが、まだ開拓者の町であったことを忘れてはならない。

 我々の多くは、今日、シカゴ・クラブの1905年から1915年までの名簿に出てくる初期の職業分類の幾つかを見れば、思わず笑いがこみ上げてくるに違いない。例えば、“街路清掃人”を想像してみるがよい。

 

現在の若い市民にとって、馬車が全盛だった時代に遡って、シカゴや他都市の街路の概念を創造することはまったく不可能である。当時のすべての事業や社会構造は、人間によく知られている最も素晴らしい動物に頼り切っていた。「パカパカ」という足音は、何世紀にもわたって我々の耳に騒々しい思いをさせたし、しばしば、その群はいななきをあげた。毎日朝になると、大量の落下物が小さな柔らかい塊になって音もなく出始め、その悪臭は軟らかさよりも更に始末が悪かった。今日の気難しい臭覚を持つ人なら、誓って顔を背けるに違いない。たとえ我々がいかに熱心に、馬糞がそこにないふりをしようと努めてみても、街路や建物や家庭などの都会の空気は、常に、アンモニアのような臭いが漂い続けていた。

だから、今日における都市の“衛生技師”と同様に、1905年代の“街路清掃人”は、重要で権威をもつ人であった。実際、生活や健康や快適さのためのその仕事は、印刷屋や保険代理店や弁護士の仕事よりも生き生きとしていたと言えよう。

 

シカゴ・ロータリークラブが結成されて1年も経たない1906年に、その最初の定款・細則を立案するために、3人の会員が選ばれた。2人は、弁護士ポール・ハリスマックス・ウォルフであり、3人目は保険代理人チャールズ・ニュートンであった。彼らはその義務を立派に果たした。彼らが作った文書は、ほとんど訂正することなしに、20年以上も役立った。それには2つの重要で、基本的な規定が含まれていた。

 

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一つはクラブの綱領(会員の事業上の利益と増進と、親睦の充実その他)と関連したものであり、

 

ロータリーの綱領

第1条    会員の業務上の利益を振興すること。

第2条    性質として社交クラブに伴う親睦その他望ましい諸点を振興すること。

 

つまり、会員の相互扶助と親睦がロータリーの目的であり、二つめは、会員の資格条件と関連したものであり、次の通りであった。

 

 シカゴ市に存在するすべての合法的な事業の経営者、共同経営者、会社役員として従事する人。

 

 1906の日付のある最初の定款・細則にはこれらの項目が記載されている。

・会員の身分は1年間有効である……。

・元会員はいかなる例会においても再選挙できる……。

・新入会員は、定足数を満たした規則的な例会において、出席会員の満場一致の投票によって選ばれる……等々。

 ・会員身分と出席の記録をつけることは記録係の義務であろう。

・また毎回の例会の冒頭に出席をとることも、記録係の義務と言われている。

・名誉会員はどのような規則的な例会でも選挙することができる。

・名誉会員の身分は1年間保持できる。彼らは、事業上の利益を増進するという正会員の義務をのぞいて、正会員が享受するのと同等の権利rightと特権privilegesを保持する。

 ・例会において処理されるすべての原理、原則、細則、取引は、入会手続きの要請すなわち、入会を要請する人に相互利益を図ることが主たる目標であることを説明すること以外は、完全に秘密を保たなければならない。

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この自己中心的で時代を逆行する方針は、衆知のごとく、その当時のアメリカに広まっていた考え方によって、より強められた。【秘密の相互扶助団体】は、フリーメーソンを筆頭として、エルクス、ムース、イーグルス等々の多くの団体が最盛期を迎えんとするほどの勢いであった。それらの殆どは秘密結社として、閉ざされたドアの後ろで行われる、真剣で手の込んだ儀式のようなものであったと考えられる。

 

ほとんどの生活が、ドラマや興奮や刺激に欠けていた時代であり、退屈な時代であったことを心に留めなければならない。1906年には、劇場を利用することはできたとしても、1ヵ月に1回かそこらであり、それも思案したあげくに出かけた。サーカスも1年に1回しか来なかった。映画は科学的な発明というより、むしろこの世にありそうにもないことを見せるものに過ぎなかった。

 

トーマス・エジソンは人の声を含むいろいろな音を再生する、完璧な小道具を持っていた。しかし、彼自身は、それが実用的な価値を持っていないと言ったので、家でそれを持つことを考える人は殆どいなかった。

そこで我々は、ランタンの明かりの下(それはなかなか良いものである)で、ポップ・コーンや焼き栗を食べながら室内ゲームをしたり、たまには本を読んだり、早めに寝たりせざるを得なかったのである。ロマンチックで神秘的な儀式への興味が我々に訴えかけたとしても何の不思議もない。

 

たとえ現実はそうであっても、シカゴ・ロータリークラブにおける理念は花開き、彼らは挑戦を開始した。結局、彼らは神秘的なものを、当を得たものにするには、どうすればよいかと考えた。ここには神聖な儀式もなければ、高尚な説教もなかった。だから、ドアに鍵をかけたり、ごてごて飾りたてたりすることに気遣う必要は、どこにあろうか?

 

1906年に定款と細則で定められた内容の大部分は、年月の経過と共に時代遅れになっていた。【例会における商取引については秘密を厳守する】という規約は極く短期間しか続かなかった。

1909年までに、記録係と【統計係】の役員が統合されて、1912年には、それらの役職は完全になくなった。

 

ロータリーの魅力のより完全な理解は、たぶん歴史の事例研究によってつまびらかにされるかも知れない。ここで、ドナルド・カーターという人に対する、1906年の彼の対応を考えてみたい。ドンはすべてについて非の打ち所のない紳士で、特許弁理士の事務所を開いていた。

 

カーターのよく繁盛している顧客の一人であるフレデリック・トゥイードが、新しくできたシカゴ・ロータリークラブに入会したのは190512月のことであった。トゥイードはこの分野では最大のガラス看板のメーカーであった。 

彼は新しく発明したバルブの部品の特許をとって市場に出したいと思ったので、特許弁理士を探していた。

 それは、19064月の出来事であり、その顛末は次の通りであった。

 トゥイードは言った。

「今のところ、シカゴ・クラブには特許弁理士がいないので、ロータリー・クラブの会員になるように、カーター君に提案したいんだが。」

 カーターはびっくり仰天した。

「私はとても嬉しいし、興味があります。ロータリー・クラブのことを耳にしたことはありますが、詳しく知っているわけではありません。その目的は何か教えて貰えませんか。」

 

トゥイードはポケットに手を入れて、まだインキが充分乾ききっていない、新しい定款と細則のコピーを取り出して、【親睦と社交クラブに通常付随しているその他の事項の充実】と書かれている条文を声を出して読み上げた。

 カーターは一笑に付した。

「何ていう要望なんだ! そんな権利は弁護士の辞書にも載っていないよ。」

 カーターはその小さな書類を手に取りながら、トゥイードにとってはかなりの時間、それを検討していた。やっと、トゥイードは口を開いたが、今や微笑みは消えていた。

「フレッド、私が会員にならないことだけは、確かです。」

「どうして?」

 トゥイードは驚いたそぶりを見せた。

「一般的傾向として、会員以外の人々に、何か利益になるようなことをするならば、そのようなクラブは大きな将来性を持っています。」

 

彼は目を伏せるようにして思案し、再び、書類を見つめた。フレッドは眉間に深く皺をよせていた。それは、まさにかつて見たことがない別の頭脳が作り上げたような、まったく新しい考え方であった。ドンはつけ加えた。

「あなたのクラブは何らかの市民に対する奉仕をすべきだと思います。」

 しばしの沈黙に続いて、フレッドはゆっくりうなずいた。

「あなたは新しい考えを持っているのに、それをどうするかを考えていない。ドン、なぜクラブに入らないの。そうすれば、我々が歩もうとしている方向に添って、定款を改正することができるのに。」

 それは当を得た提案であった。

「私もそうしたいので、よく考えさせてください。」

 

1ヵ月後、カーターは入会した。そして直ちに、ドンとトゥイードはクラブの進むべき道について話し合った。ドンはロータリーのために、将来の綱領第3条に思いを馳せた。

 彼の手書きの条文は次の通りであった。

シカゴ市の最大の利益を図り、市民としての忠誠心を培う。

(第3条 シカゴ市の利益を推進し、その市民の中に市に対する誇りと忠誠の精神を普及すること。)

 彼らはそれをタイプで打ち、カーターは印象的な短いスピーチを添えてクラ

ブに提出した。彼は次のように述べている。

 

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      まったく利己的な組織は永続性がない。もしも我々がロータリー・クラブとして生き残り、発展することを望むならば、我々の存在を正当化するために何ごとかをしなければならない。我々はある種の市民に対する奉仕をしなければならない。この定款の改正は、われわれが市民に対する奉仕をすることが可能になるように、シカゴ・ロータリークラブの綱領を拡大することを目的としたものである。

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彼が真摯な態度で、そのような衝撃的な行動にでたので、この改正案は採用

され、定款と細則の改訂版として1907年に出版されることが実現した。

 

このようにして、特許弁理士ドナルド・カーターは、どのようにすれば質の

高いロータリー会員を引き付けるかという我々の質問に対する一つの回答を提供したのである。

 

その回答とは【機会】であった!

 機会とは何か?

 円熟した心と、成長する精神のために!

 

歴史の経過と共に機が熟していくことによって、このすばらしい概念は人々の精神にある種の根底を形づくっていった。シカゴ・ロータリークラブは、“素 

晴らしい意図を持った素晴らしい人“であることを把握した人が、それを表明するための新しい器となった。

 

1900年から1912年までの、すばらしくリラックスしていた年代にさかのぼれば、人々は魚釣りをするか、木を削るか、クロケットをするか、葡萄棚の下のハンモックに仰向けになって、理屈っぽく、言葉だけのリップ・サービスをしていたに過ぎない。しかし、人口のおよそ5%の人々”はそうではなかった。5%の人々は国内や世界中を駆けめぐっていた。

 それらの5%の人々は、アメリカの、それもしばしば都市の足元で起こりつつあった新しい機会に敏感であった。シカゴでは、将にその通りであった。

これらの人々は、ハリス、シール、ラグルス、カーターのような人たちであり、これらのタイプの人たちにとって、機会は大臣や学校教師からの説教じみた言葉ではなく、行動に移すための引き金であった。

 

公共心という名のビタミン剤を、シカゴ・クラブの生きた血潮に注入したドナルド・カーターの影響は、綱領の第3条を採用することだけに留まらず、更に将来に影響力を及ぼした。

 

2番目のクラブが、1908年の秋にサンフランシスコ・ロータリークラブとして結成された時には、綱領の最後の部分に「サンフランシスコ市の最大の利益を図り……」と謳い上げ、シカゴ・ロータリークラブの定款・細則と一語一語ほとんど同じもの採用した。

 同様なことが、1909年から1910年にかけて設立された20以上のアディショナル・クラブのケースにも当てはまった。

 

我々は、ドナルド・カーターを、外面よりもむしろ内面を指摘した新しいモットー提示して、同僚を刺激することによって、ロータリーの歩む道を変えたもう一人のロータリアン、販売の専門家であるアーサー・シェルドンと混同してはならない。彼らの精神的なプロセスは同じだったけれど、その捉え方は異なっていた。カーターがその機会を見つけた時、彼は会員ではなかったにも関わらず、それを捉える用意ができていたのである。

 

新しいシカゴ・ロータリークラブに入会したすべての人が、この素晴らしい労作を熱望したと思うことは、いささか早計である。元からいた200人ほどの会員の何人かは、より多くの個人的な楽しみと取引を得たいという考えから入会したということを、我々は既に学んでいる。悲しい真実は、このタイプ考え方がはびこっていて、彼らの利己主義によって若いクラブがほとんど難破しかかっていたことである。

ポール・ハリス自身はそれをコントロールできなかった。彼は尊敬を受け、また受けるべきであろうが、もしも、シルベスター・シール、ハリー・ラグルス、チャーリー・ニュートン、更に後になってチェスレー・ペリー等の友人たちの岩をも貫く決断がなければ、彼はたぶん、3年にも満たない内に彼の組織が息絶えるのを見たに違いない。

 

ある長老は強調している。

「結婚と同じことだよ。若いファミリーは方向をあやまって出発しても、すぐに、そのコースが適当でないことに気がついて、方向転換をすることを考えるものだ。」

 現代のアメリカは、変化のための機会がそこにあることを感謝すべきであろう。何かをより良くするための変化。たとえ、ほんの5%の会員だけがそれに気づくことができたとしても、それで充分である。