奉 仕 理 念

(ゴールデン・ストランドよりB)

 

 事業上の相互取引から奉仕理念の強調への大転換は、1910年から1915年にかけての一連の出来事に起因していた。

 毎日のきまりきった仕事から、ちょっと抜け出して、友情を深める機会が与えられたことが深く印象づけられたので、多くの人たちがロータリーに参加した。彼らはすでに事業に成功していたので、他の会員とより多く取引する特典は、特に魅力的なものではなかった。1910年までに、かなりの数の会員が、深い親交を発展させるために必要な、充分長い期間、会員になっていた。彼らは互恵取引が、例会における友情にどれほど起因しているかを理解していた。

シカゴ・ロータリークラブや、新しくできた連合会(National Association)内のシカゴ・クラブが作った姉妹クラブにおいても、指導者の地位を受け入れた少数の人には、その理解があった。これらの人たちは彼ら自身やお互いの間で、単なる取引や友情より勝るものは何かということを、厳しく自問質問し始めていた。 

 

シカゴ・ロータリークラブにおける活動を1908年に開始したそれらの指導者の一人が、販売学という新しい学問の専門家、アーサー・シェルドンArthur Sheldonである。

 彼は販売学の専門家であり、頭脳明晰で意志疎通に長けていた。そこで彼は、彼の同僚の良心を奮起させるような、微妙な、又はそれ以上のことを言ったに違いなかった。

 その計画は1910に開かれた全米ロータリー・クラブ連合会の最初の大会のために準備された。その大会は、今のロータリアンは笑みを浮かべながら追想するだろうが、実に大きな問題を産み出したのである。アーサー・シェルドンはそれらのクラブのうちから、彼自身と胸襟を開いて話し合える何人かの人------特にシアトルとミネアポリス……と連絡をとった。

 

彼らや彼らの一派は共に不満をもっていたので、この大会において職業道徳に関する最初の公式文書が作られた。5条からなる綱領は、全米ロータリークラブ連合会の新しい【定款と細則】の中で発表された。

 意味ありげに、第4条が読みあげられた。

『進歩的で尊敬すべき商取引の方法を促進すること。』

 第5条は次の通りであった。

『加入するロータリークラブの個々の会員の商業上の利益を増進すること。』

 

シェルドンはそれらの言葉にまったく反対しているわけではなく、単純にそれでは不充分であると考え、そう言い続けてきたのである。

 

しかし、ポール・ハリス自身は、その考え方をまとめた委員会の側におり、強力な名声に満悦していた。その上、更に、ポールは大会にニューヨークの弁護士であり代議員でもあるダニエル・カディを連れてきた。カディは言葉巧みに話をした。

 

 「ロータリーの考え方には、新しい取引上の良心と進歩的な取引の方法によって引き起こされる、すべてのことが含まれているのです。正直な取引を志す人々が共に集うのであって、そうでなければ会う必要はありません。それは紳士同士の集まりなのです。もしも、取引が双方の当事者に利益をもたらさなければ、それは不道徳なことだと思います。あなたがオーバーを盗まれることと、オーバーの購入で詐欺にあうこととでは、どちらが、多く傷つくでしょうか?あなたの金が入っている引き出しから、数ドルくすねられることと、アメリカの上院議員が買収で選ばれたことを知ることとでは、どちらが、多く傷つくでしょうか?」                             

 

 大勢の人たちが相互取引という平等性を強調することによって支えられてきた。そのことは、初期のシカゴ・ロータリークラブで使われた成績表によって証明されている。

 その時、全国的な規模で相互取引をしょうとする考えを適用して、その決済機関を設立することが、まじめに提案された。ニューヨークで営業利益をあげているセントルイスのロータリアンは、彼らの仕事をニューヨークのロータリアンに譲る。国中でそれを忠実に実行する。

 

その提案に、アーサー・シェルドンや彼の同僚は心底から抗議して、

「それは利己的な計画だ!」と叫んだ。

さらに、彼らはインパクトを与えた。その計画が代議員の前に提示された時は、あまり気のりのしない了承を受けただけで、むしろ取引の拡大に好意的でさえあったのだから、ロータリーの良心は明らかに動いたのである。

 

ハリスやシェルドンや、彼らと親しい他の人々の指導によって、会員たちは、“進歩的で、尊敬すべき”という用語の新しい意味を知った。ほとんどすべてのクラブの例会において【統計係】が相互取引の白熱した報告で会員を楽しませていた、ちょうどそんな時であった。それは、利己的な取引を押し進めることから、初めて明確に転換を決意したことを表している。

 

ポール・ハリスは、まったく当然のこととしてその連合会の初代会長に就任した。彼の次の動きは、ロータリーの新しい理想主義を鮮明にするために、委員長を選任することだった。彼はそれを【企業経営委員会】と呼び、これもまた、まったく当然のこととして、その委員長にアーサー・シェルドンを任命した。

 シェルドンは彼の就任をまじめに受け取った。彼はやり手であり、期日に関する問題一つとってみても、決していい加減に申告しないことを意味していた。彼の委員会では、大またで速く歩くか、さもなければ置いていかれるであった。彼の性格こそ、いまなお、アメリカの偉大さの基本とも言えよう。

 

次の年の全国大会は、オレゴン州ポートランドで開催された。そこでアーサーは新しい理想主義の詳細をはっきり説明することを期待されていたが、事情があって、彼は出席することができなかった。彼の悲歎は如何ばかりか。

しかし、彼は自分の演説を文書にしたためて送ってきた。手紙によってでさえも、彼の熱意が伝わってきた。代議員たちは、熱心にその朗読に聞き入った。

 彼は取引を推し進めることについてはまったく言及しなかった。その代わりに、その手紙は新しい概念としての、サービスの様式と質を論じていた。

 

サービスとは?

 代議員の何人かは、直ちにその言葉の虜になった。彼らは、それが奴隷とか、我慢をすることとか、またはせいぜい教会の活動のある漠然とした特徴を意味するものと思っていた。

 

今や、ロータリーは楽しみ、食物、友情を、更におまけとして、物質的相互扶助を目指していたのではなかったのか?もちろん、その通りである。相互取引の報告書を見てみるがいい! 大部分のロータリアンは当然のこととして、ポートランドに来ている代議員でさえ、そう感じていた。

 

シカゴで前の年にされた方針の変更のニュースは、すべての人の心に浸透していたわけではなかった。そこで人々は、座席からのりだすようにしながら、アーサー・シェルドンが行うはずだった1911年の演説の朗読に熱心に聞き入った。彼が皆の前に提示した、指針の一部は次のとおりである。

……………………………………………………………………………………………

 経営学は、“He profits most who serves best.”に基づくサービス学である。いかなる団体の成功も、そのサービスに従事した人々の成功の集積である。 

広い意味で、すべての人はセールスマンである。それぞれの人は、それがサービスか商品かにかかわらず、売るべきものを持っている。広い意味における人生の成功は、幸運とか機会いうものではなく、精神的、道徳的、物質的な自然の法則によって支配されている。これらの法則のすべてを調和させる活動こそ、最高の成功を意味する。宇宙を認識するということは、民族の連帯の理解、すべての物の単一性、人間の兄弟愛の現実などという一般的な感覚を開発することであり、磨かれた人は、ビジネスやいかなる場所においても、“He profits most who serves best.”でなければならないという事実の実体に気づくのである。

……………………………………………………………………………………………

 それはまさしく古典的な美と力の宣言であった。朗読が終わったとき、感極まって“しわぶき”一つなく、しばしの間座っていた聴衆の間から、割れんばかりの拍手が起こった。

 

代議員達が、立ち上がって両手を振っている人物に気づいた時、大喝采はいまだどよめいていた。やっと彼は注意を促して、拍手を静まらせた。彼はシアトルのジェームス・ピンカムであり、新しいロータリーの宣言を作るための決議委員会の委員長であった。

「議長!」ジムは叫んだ。

 「私は“He profits most who serves best”を我々の宣言の結論の言葉にするという動議を提案します。」

 直ちに、議場は賛成のどよめきに変わった。投票用紙など無用であった。

動議は満場の拍手によって決着がつき、またそうすることを命じていた。シカゴから1,500マイルも離れた場所にいたセールスの達人は、素晴らしい仕事を成し遂げたのである。

 

シカゴ・クラブが、この重要な方針の変更について、すべての名誉を独占するのは不公平なことである。他のロータリアン、特に、シアトルのロータリアンは、アーサー・シェルドンとともに口角泡を飛ばしながら考え抜いたからである。

シアトル・ロータリークラブが設立された1909年から1911年の間に、何人かの人たちが、「ロータリーが存在する真の理由は何か?」と問い続けた。

 

彼らはお互いに、国を横切りながら話していた。取引を推し進める考えに満足する人は誰一人としていなかった。皆、個人的な事業で利益を得ることは主要な目的ではなく、二次的なものであるはずだと考えているように思えた。

 

電信は完成され、最近では、より大きい奇跡である電話は、その電線網が国中を横切って、張り巡らされている。列車のサービスは改善されて、客車は金持ちの単なるおもちゃではなくなった。郵便物は効率よく配達され、実際、2人の魅力的な変わり者が作った、空気より重い発明物が空を飛んでいる。アメリカは、新しい考え方と新しい理想が一緒になり、混ぜ合わされ、理解し合い、交換し合う国であった。

 

20世紀は、かって経験したことのないほど、弾みの付いた世紀であった。要するに、ロータリーが重大な変革をとげる機が熟していたのである。

 1912年までに、ロータリーの国内における成長は弾みがついていた。シカゴ・クラブは未だ象徴的な舵とりであった。

 

1912年までに約30のロータリー・クラブができていた。そして、その年のダルースで開かれた大会の議事録に、重要で新しい考え方として示された、「各ロータリー・クラブは、彼ら自身の特色のある方法で公共活動に参加しなければならない」という文言は、それらのうちの一つであった。

 このようにして、シカゴ・クラブは、あらゆる場所で、新しい展望を開き、新しいタイプのひらめきを提供するロータリアンの心を写し出すモニターの機能を果たした。