奉仕の理想の意味

This Rotarian Age H)

 

 奉仕の理想とは何を意味するか。『ロータリー解説書』(The Meaning of

Rotary)の著者はこれに関する種々の言説を引用している。

それぞれ言葉は異なるが精神は一つである。

 

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エジプト人曰く、「己れの欲する善を、他人のために求めよ。」 

ペルシア人曰く、「汝、施されんと欲する所を施せ。」

仏陀曰く、「人は、己れのために欲する福善を、他人のために求むべきものなり。」孔子曰く、「汝の欲せざる所を、他人に施すなかれ。」

モハメッド曰く、「何人も、己れの好まざる如く、同胞を遇すべからず。」

ギリシア人曰く、「汝、隣人より受くる時、悪となせることを、隣人に受けしむるなかれ。」

ローマ人曰く、「自己を愛する如く、社会の全員を愛すべしとは、万人の心底に銘せらるる法則たるべし。」

ヘブライ人曰く、「何事にもあれ、汝、隣人の施すことを好まざる所を、隣人に施すなかれ。」

最後にナザレのイエス曰く、「汝、他人より与えられんと欲するすべてを、他人に与えよ。」と。

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 奉仕の理想を奉ずる人々は、冨は正しい用益を有さないと信ずるものであろうか。答はいうまでもなく否である。

ロータリーの概念する『奉仕の理想』とは、著者の理解するところでは、

物の過程の最初に奉仕を置くものである。

 

換言すれば奉仕の理想を標榜する者は、受けるべき物質においてでなく、【まず与えるべき奉仕】に着眼すべきである。

 

物質を眼前に近く置けば見透しは困難となる。そしてその最も愚かな方法は金銭に集中することである。

 

 多くの専門職業に従うものの奉仕が、その注文に対して引き合わないことがある時、他方においては、法律、医学および神学の学生は、その従事する職業には、必ず遵守すべき義務の付随するものであることを、教えられているのである。

 

弁護士は、正義の支配下にある法廷に仕える公人であることを、記憶しなければならない。医者は何よりも第一に人類の公僕であること、宗教家は神聖なる受託者であることを、記憶しなければならない。

 

 弁護士は法廷の要求に答えて、無一物の囚人のためにも、無償で弁護の労をとらなければならない。医師は支払い能力のない患者のために、時間の若干を提供しなければならない。宗教の伝統は、富貴と貧賤の差別を禁じている。

その他の職業ひとしくそれぞれの義務をおうものである。

 

 もし、万人がその職務に愛着を持つならば、その結果はいかに驚くべきものであろうか。奉仕の理想は速やかに実践の舞台に登場するのである。

 

 自分の職務から、何らかの示唆または感激を受けないものがあるとすれば、はなはだ憐れむべき人間である。ガリレオ、ダンテ、シェークスピア、ゲーテ、パスツール、エジソン等の人々は、すべて心が物欲を離れていたのである。

およそ社会の幸福または理解の向上に資した最高級の貢献というものは、もとより金銭的報酬を伴わないものであった。

すなわち、卓越した巨人の作為は、皆“奉仕”の新原野を開拓しようとする熾烈な情熱の鼓舞するところであった。

 

メーテルリンクの「青い鳥」は、自己を離れて奉仕から生ずる幸福を愉快に描いている。奉仕の生活は幸福の生活である。

ここに、一つの家庭に2人の子供があり、その一人は他の一人に仕えるように躾けられたとする。

両親が意識すると否とにかかわらず、その結果は“仕えること”を学んだ方の子が、後年すべての幸福を享けることになる。

【奉仕の中にこそ、幸福は存在するのである。】

限りない人間の行動には、あらゆる種類の奉仕を、いれる余地があるではないか。

近年の名著であるハーベー・アレンの『Anthony Adverse』にも「自己を奉仕に没頭するまでは人生の終了を告げるものではない。」とある。 

 

 職業教育の専門学校は、[“人格”が、将来の成功を建設する最も信頼すべき基礎である。]ことを教える。

すなわち、成功は提供する奉仕の質によるということである。

 

弁護士は自分が法廷に仕える公人であること、そして法廷とは正義を確保する目的をもって公衆の支持する所であって、決して不正義をなすためのものでないことを忘れてはならない。

 フランク・ラムは『実業家の見たロータリー』でラスキンの「名誉の根源」の一節を引用している。

すなわち軍人、牧師、医師、法律家および商人について論じて言う。

『人間は当然の場合にはその職務のために死すべき義務を負う。』

 

軍人は、戦場で自分の持場を去るよりは、死を敢えてすべし。医師は、疫病から逃避するより、また牧師は、虚偽を説くより、また法律家は不正に与するよりは、むしろ生命を賭すべきであると。

 

商売人のいわゆる『当然の場合』が何であるかは明示されていないが、これは商売人自身の決定すべき問題である。ラスキンは続けて言っている。

「商売人の利潤の収得はその機能において僧侶も大差はないはずである。報酬はもとより付随物である、僧侶にとっても商人にとってもそれは決して人生の目的ではない。」と。

 

 政治家にとっての、いわゆる『当然の場合』については、ラスキンは指摘していないが、われわれの見るところによれば、彼らは、その政治的城壁を築こうとするに際し、最も強烈な熱意を発揮するものなるがゆえ、恐らくその時が、彼らにとってのいわゆる当然な場合であろう。

 

 このような専門職業人の協会と実業家の団体とが同列に立ち得ぬという何らかの本質的な理由があるであろうか。

ある人は言う。

「実業は、法律や医学の実践と同時に論ずべきものではない。法律家および医師の職業は個人的である。いずれも彼ら自身を考慮すれば足りるが、実業家は数百数千の男女を使用する。」と。

 

 実業もまた専門職業化しつつある。カリフォルニア州政府が、土地売買業の許可制度を規定する法律を施行して以来、無数の悪ブローカーは、そのために一掃された。それから他の多くの州もこれに倣いつつある。

 

 実業の性質には、『奉仕の理想』に無感応ならしめる、何物かが内在するであろうか。今や労働団体すら労働の尊厳を要求している。しかし、それを要求してはならないという理由があるか?

 

 著者は信ずる。将来の実業は、非常な熱意をもってその面目を保つことに努め、そして不正な実業家を、法律職業における悪徳弁護士、および医界における、不良医師と一緒に高い木の上に追い上げずに止まないであろう。既に実業改善局(Better Business Bureaus)の名称の下に活動を開始している新機関は、この目的にそう有効な事業をなしつつある。

 

 ロータリアンは、彼らの実業は、各自が社会に奉仕するために最良手段であること、そして慈善の分野においては明らかに初年兵であるが、各自の実業においては、彼らは専門家であることを自覚している。

 

実業ははなはだ手近にあり、カムチャッカや南洋諸島を開発して住み良い世界を作ろうとするようなことは、実業家にさほど必要ではない。

それよりも、雇用する人々の心に希望の火を点ずべき新たな方法を発見しようと努めることが、一般実業家のなすべきさらに善い奉仕である。

 

 世界は何人にも負うところはないが、何人も生活を獲得すべき機会を得なければならないと、ロータリアンは信ずるのである。

ロータリーは会員が各自の業界の協同機関、特にその倫理標準の向上に尽力することを奨励する。

 

 奉仕の理想の運動にとり最大の障碍となる一事実は富の崇拝である。

由来、大なる人とは富める人を意味したことは一般世態である。大なる富を所有しない者は小さな存在として止む外なく、人類の福祉に対する貢献がいかなるものであろうともそれは問題ではなかった。

 

人の財産の高を知ろうとする言表として、「ジョンの価値はいくら位か?」と訊ねるようになったのである。これに対し「彼は百万ドルの資産を持つ相だ。」と答えればよいので、彼の等級は全くその所有財産によって定まり、人間その物は毫も考慮に上らない。

ジョンを最もよく知る人としてはかく評価することが、彼ジョンに対し決して不都合な評価をしているものではないのであろう。

 

 小児は懸命に砂山を築く。しかしこれは世の中に砂が乏しく貴重なためではなく、ただ他の小児の山よりも、自分の方を高く作りたい一心からである。

小児は砂を積み、大人は黄金を積む。両者の動機には余り懸隔はない。望むところは、単に所有とその支配権および所有せざる者に対する優越感とにあるのみである。

そして両者の中少なくとも一つの点においては、小児の方が聡明である。けだし、黄金の蓄積には、ミダス王が憐れにも晩年に至って悟った悲しい経験があるが、砂山の堆積には後日の不愉快が残るようなことがない。

財産獲得欲は奉仕の理想とは両立し得ない。

 

 かの奉仕の感情が視野の殆ど全面をおおって、他の何物をも顧みなかった人が古来多くあったという事実が存する。

スピノザは彼を礼讃し、彼に感謝する弟子が、千金の寄贈を申し出た時立ち所にこれを退けた。この大哲学者は、貧困が自己の高邁な目的達成のために大切なものであると考えたからであった。

 

 アメリカのある雑誌は、アインシュタイン教授に多額の原稿料を提供して反感を買ったことがある。教授は「余を以って、懸賞勝負を業とするものとなすなかれ。」と断ったというが、これは清廉の人に共通の憤りである。

また同教授は、プリンストン大学から報酬額を通知された時にも、これを沢山過ぎるとして、遥かに減額されない限り、講師の地位を引き受けられないと断ったのであった。

 

 しかし、退いておもむろに考えるならば、よし天才にあらざる幾百万の男女の生活においても、奉仕感が支配的地位を占めていることを認識すべきである。試みに思え、ある個人が、巨額の資金をもって購い得る物品に欲求を置く時、彼は果して、よく教育事業のごときものに志し得るであろうか。

与えるところが多くて、受けるところが少ないのに満足する学校教員のごときを思うべきである。

 

 さらにまた、快楽のために供えられる無益の事物を崇拝することが、一段と興味をもって迎えられる。

繁栄は憧憬されるが、窮乏は悲歎される。

逆境が偉大な人格陶冶の母であること、強力な国民は決して繁栄のうちに育まれたものではないことを、われわれは忘れるのである。

繁栄は精神的および肉体的懶惰を生み、結局破滅の前奏曲となる。

 

 数学の奇才で、電気技術界の世界的権威であった、故チャールズ・スタインメッツに対し、ロージャー・バブソンが、次のようにたずねたことがあった。ラジオ、航空機、動力輸送等の内、いずれの分野における研究が最も人類に貢献すると考えられるかと。

スタインメッツは答えて、

「最大の貢献をなすべきものは、次々に現われる発明そのものにあるのではなく、実にその精神である。」

これがすなわち人類を発展せしむべき最大の力であると。彼はなお続けて、人間は結局、物質的には幸福をもたらすものでないことを発見するに至る。

 

 有史以来、偉人中の最大偉人等が、その言にその行に宣揚し来ったものは、

Service Above Self「奉仕第一、自己第二」というスローガンの中に要約され得る教義である。ロータリーの目的は夢物語に過ぎないと誰が言おうか。

 

 ニコラス・ムーレー・バトラー博士は、コロンビア大学総長としてのある報告中にいう。

「人間の努力、要求する目的が、ただひとつ利得にあるとすれば、社会は必ず堕落に瀕し、個人間、集団間および国民間の確執は絶えず増大し、その終局は破壊である。

人々が、利得感情の支配より解脱して、【利得を奉仕の後に服従せしめるべきことを自覚する時】、ここに初めて、社会上、経済上、政治上の秩序は確固たる基礎と堅実なる持続性とを保ち、もって平和と幸福とを大衆の前に保証し得る緒をなすものである。

大衆が確信をもって奉仕の感情を第一に置き、その後に利得を従属せしめることが、世界の商取引を益々発達せしめる所以であることを意識するに至れば、現在世界の各方面に、わだかまっている革命思想は、速やかに減殺されるであろう。」と。

 

 「不正直で金を儲けるよりも、却って正直で金を儲ける方が多いことを覚れば、人は正直になるに違いない。」と、ヘンリー・フォードは言った。

これと同じく、

「富から得る幸福よりも、教養から得る幸福の方が大であることを悟れば、人は教養を取るに違いない。」と言い得るであろう。

富と教養との価値の比較は、1932年の不況時、すなわち「自殺年度」のある米国大都市において最も明白に実証された。

すなわちその12ヵ月間に同市における第一流の富豪20余名が自殺したのにもかかわらず、財産をもたない約1万の学校教員は、市財政のはなはだしい窮乏のため、無報酬で働きながらも一人の自殺者も出さなかった。

富対教養という場合となると、富は第2位に落ちなければならない。

 

 教員たちは背後を支える[健全な人生哲学]をもっていた。

これは、すなわちロータリーの奉仕哲学で、窮乏の中に彼らのなすべきことは前よりもさらに豊富であった。閑暇の時があれば、彼らは如何にこれを費やすべきかを知っていた。

すなわち、交わるべき友人を持っていた。それは富に心を傾けた友人ではなくて思想を共通にする友人であった。

 彼らの多くはまた他の種類の友を持っていたのである。ある者は森林に遊んで鳥禽と交わり、ある者は種々の可憐な動物と戯れた。彼らの興味は顕微鏡の驚異から望遠鏡の神秘まで森羅万象に拡充した。

要するに人生は決して退屈とはならなかった。彼らは倦怠を知らなかった。彼らは決して人生の探検旅行を放棄しようとは思わなかったのである。

 

 ロータリーは政治の形式に関し、特定もしくは公式の見解を持つことはできない。ロータリーが関心を持っているのは、会員は何をなすかというにあって、政府についてではない。

ロータリーは思想および経験の交換により、また個人的および集団的に諸般の行動に参加協力することにより、この特殊の時代における、社会的重要事項に関する会員の知識を啓発し、もって、会員をして、一層聡明に善悪賢愚、並びに事の一時的なものと、永久的なものとを弁別せしめようと企図するものである。

 

 世の多くの父は、巨万の富が幸福をもたらす手段として、無益なことを彼自身の場合においては是認するのにかかわらず、なお子孫に幸福をもたらすため、富の争奪を一生懸命に続け、子は常住親しんで、父とともにあることが、富より一層貴重であることを忘れているのである。

 

父が子のためにすべき最良の遺産は、[最良の教育]である。これはすなわち、その子が独自の生活力を獲得する上に、貴重な機会を与えるからである。

ある時2人の者が、大富豪の一人息子で、優秀な青年の価値について論じ合った。そしてその青年は勤勉、礼譲、明敏等の種々の良い素質に恵まれていたのであった。2人の何れかが、かの青年を評価して、将来大成すべきあらゆる資質を具えていると称賛したのであったが、これに反して、他の一人は述べた。

 

「そうだ、しかしただ一つ欠けているものがある。彼は苦労を知らない。」と。これをカージナル・マーシーアの言をもってすれば、「苦労はこれを受け、またこれに克つことにより、人生の地位を高めるものである。そしてその結果として体得する沈着は、生涯を通じて高貴な果実たることを最もよく証する。」というのである。

 

 これは実に至言とすべきである。およそ失望、懊悩、艱難、辛労等に対し子供をかばう父は、無意識の中に却って人生最大の特典を、逃してしまうものである。

多くの学生を監視する立場にある某大学の学長が最近述べたところによると、同大学の落第生の90パーセントは両親の放逸に起因するものであって、それが逆境に在るがために、落第の余儀なきに至ったものの数は、却って少ないと。トーマス・アークル・クラークは、放逸な父母の無慈悲を指摘する彼の持論を永久に捨てることを欲しなかった。

 

 他方においては、昔から“十字軍”すなわち主義のために総てを賭して進んだ人々もあったのである。古い昔から、深い思慮をもって、富貴に背いてきた宗教家、教育家の心に棲んだ犠牲的精神は、また実業家の心の中にも、宿ったのである。

実業の欠いたものは、ただ団結の熱意のみであったが、これはまた、徐々に修得されつつある。将来の十字軍は、実業十字軍であろう。そして、実業は一度事に従うや必ず徹底的に遂行するものである。

 

 アメリカ人のロックフェラーとカーネギー、イギリス人のカドブリーとレバー等は実業十字軍の人々であったというべきである。

この4人は、富を解して正確な計算の行なわれるべき信託財産であるとなした。この四巨星には及ばざるも、幾多の小明星またこの主義を是認し、各々独自の道において、これを実行し来たったのである。

現在の実業十字軍の傾向は、労働者の利害を第一に考慮すること、すなわち彼らの職場および家庭環境の幸福を計ることである。

 

 旧時代においては、実業家の思うところは、いかにして金を儲けるかの一事であったが、今日の実業家は、多辺的相関的問題に当面している。

今日の実業家が成功するためには、その祖先よりも、深遠にかつ迅速に考慮しなければならぬ。彼らは四方に風を受けて立たなければならない。

 

顧客、使用人、競争者、仕入先、また公衆に対して【正しく】なければならない。このようなことは、決して容易の業ではないが、しかも、現代に頭角を現わす成功者の大部分は、かかる幾多の責任を、是認し履行した結果によるのである。 

時代はいよいよ急変して、実業の方策に挑戦してきた。その挑戦に対して、実業は立派に立ち上がってきたのである。