天  の  佑 

This Rotarian Age E)

 

ロータリーが復興して間もない頃の一夜、天の佑を得たという事実が明らかになったのである。

それはこの運動に不滅の足跡を残す宿命を有した2人の人間が、シカゴ・クラブに入会して来たことであった。

シカゴに土着の[チェスリー・ペリー]と、ミシガン生まれの[アーサー・フレデリック・シェルドン]で、後者はミシガン大学卒業後、ある商社の予約図書販売係に就職するためにシカゴに出てきた人であった。

 

 シェルドンがシカゴに出て来た時は、ちょうど前に記したシカゴの最悪時代であって、その混沌たる実業界の状態は、若きシェルドンの心に深刻な感銘を与えずにはいなかった。

美徳には何らの報酬がなく、成功の機会は無慈悲な奪取、必要とあらば詐欺もあえて辞さないような印象に満ちていた当時であった。

しかし、物質的利得よりも名誉を貴重と見たシェルドンは、雇主の期待する販売係の態度には、あくまで反対せざるを得なかった。遂に、こうした地位に対する嫌悪の情にたえかねた彼は、奮然として仕事着を手近の小溝に投げ捨て辞職してしまった。

 

 あたかも、消費者のためには「消費者は自ら守れ」の原則が適用され、悪意と不信用とが、実業上の競争を特質づけていた当時であり、被傭者の福祉の如きは、全然顧みられなかった当時であったが、シェルドンは、このような一般の通弊のうちに、ある注目すべき異例があることを、発見したのである。

 

それは、寛容をもって適正公明に経営された商店または会社の中に、最も成功しているものがあるという事実であった。

ここにおいて、彼はその成功の秘訣がどこにあるかを考究した結果、従来の印象を次第に打ち消して、新たな断定を下した。

曰く、永続的成功を保証する唯一の信頼すべき方途がある。よく他人のために尽くすこと、すなわち『サービス』がそれであると。

 

 他人が漠然と考えていたことを、シェルドンは明確に把握したのである。

すなわち、成功は、無慈悲な貪らんや我利の根性に依存するのではなく、『サービスの法則』が、適用されるところから生まれる不可避の結果だと、信じたのである。 

 

彼の見たところでは、サービスの法則は引力のように、厳として誤りのない自然の法則であった。

彼は、ムーディースの法則は引力のように、厳として、誤りのない自然の法則であった。彼は、ムーディーの宗教界におけるように、実業界における伝道師であった。

彼とペリーの両者は、実によく似合ったものがあり、2人には火のような十字軍の情熱が、百折不撓の目的と意思とに燃えていた。2人ともに身を挺して邪悪に抗し、特異のシカゴ的反撥力を代表して、決然呼びかけようとしたのである。

 

 シェルドンの希望には際限がなく、その確信は、止まるところを知らなかった。その思想の、あるものは電光のように閃き、またあるものは緩慢な進化の過程を辿って現われた。

 

1908年のある夕、ミネアポリスの理髪店の椅子から、その組んでいた長脚を解いて、ひょう然と戸外に現われたシェルドンの頭脳は、

まさに、「最もよく奉仕する者、最も多く報いられる」の思想を鍛錬しおえていた。

この他にも幾多の標語が、時を重ね日を積んで製作され再製作され、その発表は、突如として霊感になったようでもあったが、事実は長い思弁の帰結であった。

 

 「最もよく奉仕する者、最も多く報いられる」の標語は、世俗に過ぎはせぬかという非難もある。また、シェルドンがこの思想の中に、観念した報酬とは物質的なるものかそれとも精神的なるものかと問う人がある。

 

 著者の信ずるところによれば、シェルドンは彼自身に関するかぎり、いわゆる精神的報酬に主眼をおくものである。ただし、彼の目的は最大多数の人々に最大限の幸福をもたらすにあって、その最大多数の人々は物質的利益に多くの関心をもつという事実を、彼はよく認識していた。故に、彼の目標とした人々は、この物質的利益を追求する人々であるということになる。

 

 彼は、いたずらに他の利己心を破壊しようとは考えなかった。彼のはるか実際的に考えたことは、その求利の念を鈍化し、規律して、社会一般および行為者自身のために、幸福をもたらそうとするにあった。

 

世の一般の通念が、利潤の目的と、どこまでも手を握っていくものとするのも、利潤の作出を、正しいものとすることに、努力したいと考えたのである。

彼は、熱狂といわんほどの熾烈な意気をもって、

「利得は、サービスの必然の結果であることが、あたかも熱の火におけるが如きものであり、火力が強ければ強いほど、熱度は高い、サービスが大なれば大なるほど、利得は多いのである。」と主張した。

 

 かって、ニューヨーク・ロチェスターのある教会の聴衆に向かって、シェルドンを紹介した牧師の言葉は、善意に出でてしかも誤っていた。それは、シェルドンの教義を遵奉することは、もとより金銭上の利益を欠くも、ただ正しいことをなしたという実感の経験する満足によって、一層大きく償われるのであると、言ったからである。

このようなことは、シェルドンの本旨ではなかった。不幸にして、足らざるこの紹介の言葉が、聴衆に悪い印象を残すことを慮ったシェルドンは、その日の講演に、与えられていた時間の大部分を、その打ち消しのために費やさねばならなかった。

 

 しかし、シェルドンはサービスに報われる精神上の利益を、無視したのではない。むしろ、衷心に深くこれを意識しつつも、ただ、人間社会の自然的通習である求利の観念を、最高限のサービスの理想と調和せしめることをもって、自己の特殊使命と考えたものに外ならない。

 

彼の言説は、シカゴ・クラブ員の間に次第に深い感銘を印していった。そして、彼のスローガン「最もよく奉仕する者、最も多く報いられる」は、遂にロータリーのスローガンとなったのである。

 

 以来、このスローガンはさらに他の一つのスローガンとともに、ロータリーの指導理念の表現として、ロータリアンの無限の尊敬を博してきたものがある。

その栄誉を分かつ他の一つとは、ミネアポリス・ロータリアンの貢献になる一層博愛的な観念の表現『奉仕第一、自己第二』(Service above Selfである。

 

 1921年のエジンバラ大会の際、そのプログラム委員会はアメリカ人の理解する『サービス』の理想をイギリス人に説明する最適任者としてシェルドンを招待し、彼は快くこれを承知した。この時の使徒シェルドンの言を聞いた人々は今にその絶妙を称えていることである。

 

 次に、この記憶すべき夕に、入会したなお一人の戦士チェスリー・ペリーは、ロータリーのただ一人の、国内的および国際的幹事である。

多くの人々は、チェス・ペリーといえば直ちに国際ロータリー(The Rotary Internationalを連想する。チェスリーは、シカゴに生まれて文字通りシカゴとともに成長した生粋のシカゴ人であって、彼ほどにこの都会の伝統に通暁している人は滅多にない。彼は、元来教養に恵まれていたとはいえ、自らの運命をよく開拓したことの多い人である。

 

 かくて、チェスの広い視界は遠く将来の可能性を見透し得たのであって、彼の年来の献身が、よくロータリーを現在のようなものに育てあげてきた。

終始一貫、目的を2つにしない人があるとすれば、彼こそ正にその人である。朝来て夕に去る星霜移り変れども、かって変らないものは彼の金石の心である。

 

 ロータリー運動の成功について、著者に課せられている功績の多くの部分は、チェスに帰せられるべきものであると、信ずるのである。

著者自身のなした多少の寄与も、もし、この協力者の不撓の熱意に助けられることがなかったならば、その少なからざる部分が、必ず無駄となったであろうと思う。

著者はあくまで、チェスはただに公正の人であるのみならず、終始かわらない、【寛容の人】であると確信し、また断言する。彼は、常によく自己の個人的考量から離れて、あらゆる問題をロータリーの最高の利害関係に照らして、判断するのである。長い間、このような人物の協力に恵まれてきたことは、真に光栄とすべきである。