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卵 殻 を 後 に
(This Rotarian Age D)
ロータリーの目的は貴ぶべき事業の根底に奉仕の理想を養成奨励するにある。
1.交を広くして奉仕の機会を得ること。
2.実業および専門職業の道徳水準を高め有用なる職業の価値を認めて、各々その職務の尊厳を保ち、もって社会に奉仕するの機会を得ること。
3.個人として、職業関係において、また社会生活の上に常に奉仕理想の実現を期すること。
4.奉仕の理想をもって結合し実業および職業人として世界的和合、親善ひいては国際平和の促進を期すること。
獲得した成功の凱歌をあげ、かつ、将来に向かっての運動を一層強化するため、ロータリーは1910年の盛夏シカゴにおいて大会を開いたのであった。
これに大きな努力を捧げた一人として、チェスリー・ペリーの名を挙げなければならない。当時、この大会に参加した人々は米国重要都市16の代表者であって、慎重な討議の結果、全米ロータリークラブ連合会(The National Association of Rotary Clubs.)設立の案とともに、その定款および付則を決定した。この連合会の本部のシカゴに設置されたものが、今日に及んでいるのである。
この成功は、さらに進んで一大希望を呼び起すに至った。すなわち、全国的統一勢力の集結に成功した以上は、たとえ全世界に及ばないまでも、これを多数の諸外国を含む国際的組織にまで、発展せしめようとの空想を抱くに至ったことである。
空想は、場合によっては無価値となることがあっても、必ずしも、損失の伴うものではない。
熱心な当時の人々の努力は、ただに地域的拡張にのみ注がれたのではなくて、思想上の視野においても、また有益な拡張が行なわれたのである。
その中の最も重要な貢献は、シアトル・クラブによって発表された主張であって、これは、第2回全国大会に際し、全米連合会の綱領として採択されたものである。
あたかも、この機会において、かのシェルドンの提唱にかかる“He profits most who serves best”(最もよく奉仕する者、最も多く報いられる)の標語が採用されたことである。
この綱領は、ロータリーの主張を整理し、特に、ロータリーの運動の方向を一層的確に明示しようとした点で重要な功績をなした。これによって、定款ないし付則の規定しなかった部分を充実し、そして、実業職業上の正当な取引、および高尚な道徳水準の肝要性を強調したのである。
合衆国外において、最も合理的な膨張地域を提供したものが、カナダであったことは極めて自然で、それにはウィニペグが第1の目標都市として選ばれた。
ウィニペグ城砦の包囲は、1909年に始まり、1910年10月、遂にその占領を見るまで、運動は猛烈に続けられたのである。この結果として、全米ロータリークラブ連合会なる名称を捨て、ここに国際ロータリークラブ連合会と誇称して、別に咎めのないものとなったのである。
カナダを友愛の法衣の内に抱き込んでみると、今度はイギリスが手を差し延べて待っているように思われた。しかし、それは楽観者の観測であって、他面に悲観論の主張もあったのである。
イギリス人を、この運動に引き入れようとする希望は、ナンセンスである。彼らは、階級の観念が余りに強く、また余りに冷たい精神の持主である、「サー・ジョン」が、小商売人と友達になることを想像してみよ。というのであった。
しかし、今やイギリス人は、想像されたほどの階級人ではなかったことを、時節が証明した。「サー・ジョン」も人間として、地位の高低を問わず、周囲の人々の直面している問題に、深い興味をもつ者だったのである。
現在の文明社会における、各個の社会的、宗教的、民族的集団は、おのおのその所有する理論を適用して、もって銘々が成否を検証すべき地盤をなしているものであって、この結果、文明はますます内容を豊富にし、思想はいよいよ水準を高めて行くのである。
仮に、ヨーロッパ各国民の多彩多様な生活状態が、同一色に塗りつぶされたものとすれば、いかにも悲惨であり、そこに旅行する興味もないことであろう。
ただ一つの種類、ただ一色の花ばかりの庭園に、誰が心を引かれるであろうか。変化は、人生の香味であるとは真実のことである。同一とは単調の異名で、憂うつなものでもある。
ロータリーは、社会上の地位や、宗教上の信仰や、種族、または国籍等を異にする人々を、一堂に糾合して、相互理解の機縁を作り、そこに、ますます深い親善と友愛の関係を、育成しようと企図するものに外ならないのである。
ロータリーの職能は、どこの国においても同一というものではない。気候の相違は、往往人情の相違となる。晴朗な天気には人の心は軽く、時には狂乱浮動する。陰うつな空の下では、沈思黙考すべて控え目となる。クリスチャンネームの使用が、友情の前提となる国もあれば、また、苗字をもって呼ぶことが親密を意味する国もある。
このような事柄は、ロータリーの真髄に触れた問題ではない。
ロータリーの真髄に属するものは友愛そのものであって、要はその友愛の伸長に、最も便宜な習慣は何かというにある。
さて、ロータリーをイギリスに移植する機会は、余り長い時を待たずして到来した。ロンドンとマンチェスターに、事務所をもったボストンのあるロータリアンが、シカゴ・クラブの一員と共に、ロンドンに一クラブを組織することを委嘱されたのであった。
極めて短い間、サンフランシスコ・クラブの会員になっていた、一人のダブリン生まれのロータリアンが帰国して、その墳墓の地に一クラブを組織し、さらに、ベルファストにも設立の計画を進めているというのであって、疑わしい程よい消息でしかもそれが真実であった。サンフランシスコに焚かれた大きなかがり火が、大海原を越えて対岸に燃え移ったのである。
この不思議な手腕家であったアイルランド人は、その後いよいよ大活動を開始してグラスゴー、エジンバラ、リバプールおよびバーミンガムに働きかけたのである。
一度、空想を追い始めた人間は、容易に止まる所を知らない。アングロ・サクソンの王国における飛躍は、いよいよロータリー世界化の夢想に拍車をかけたのである。
まず、ドイツおよびフランスにあるアメリカ商社の代表者と、オーストラリアの法律家とに宛てて勧誘状が送られた。しかし、それは直ちに具体的効果をもたらさなかった。
その後、フロリダのタンパのクラブ員は、キューバにおける運動に見事成功し、その余勢をかってさらにスペインにおいても勝利の栄冠を得たのであった。
かくて、アングロ・サクソン神話の退散した後は、すべてが可能であった。南米に、ヨーロッパ大陸に、アジアに、アフリカに、オーストラリアに、ニュージーランドに、その他東方海洋上の諸島国に、ロータリーは急速に拡張の勢を進めた。
ロータリーを勧める人々は、概ね自ら進んでその使命に当る信念の強い篤志家である。すなわち、自ら時と金とを費やし、主義の宣揚に奔走したのであって、彼らの中には生活標準のはなはだ高い人が多くある。
彼らは皆、ロータリーの精神を信奉し、その国際親善の増進に資すべきを確信したために働いた人々であって、彼らのこうした行動の背後には、各々祖国への奉仕を思う忠愛の精神の外何物もないのであった。
以上のように、ロータリーの地理的拡張の記録は、ロータリー史上の最も顕著な平面をおおっているが、これと同時に、思想およびその実践の方面においても、発展は同様に著しいものであった。
まず行為があって次いで名称が伴うことで、多種多様な形において現われた行為のサービスが、含蓄ある文字の『サービス』を生んだのである。
綱領に次いで貢献されたものは、先進ロータリアンの協同力作の結果に成った“倫理準則”であった。
“He profits most who serves best”の標語が綱領の頂点であったように、己れの欲するところを他人に施せの黄金則が倫理規準の第一に置かれていた。
上記の黄金則を、ロータリーの主張の総合的表現として採用したことに対しては、近来種々の方面から少なからぬ物議を呼んでいる。
しかしこれは、この黄金則を人生の規準とすることに、好意を持たぬ会員が多数であるという理由に基づくものではない。
反対説は、概してこう言うのである――従来ロータリーは、とかく宗教運動と混同されやすいのにもかかわらず、この黄金則を標榜することは、ロータリーを解しない人にかえって、ますますロータリーを疑わしめ、これを宗教視せしめる根拠を与えることがないかと。
しかり、われわれが、すでにロータリーを宗教と考えていない以上、ロータリーの文書中に、この黄金則を登載することは、中止されるべきであろう。
従来、ロータリーの起源、あるいは設立の動機に関する誤解は、決して少なくないが、特に、広く深く世人を支配している誤解の一つは、ロータリーをメイソンの派生物または補助物の如くに、見ようとすることである。
もちろん、メイソンのロータリアンもいる。しかし、カトリックのロータリアンもいるのである。ロータリーの外においては、人おのおのその欲するところは自由であり、ロータリーの内においては、ただ親しい友人であるべきのみである。
1915年にフィラデルフィアのガイ・ガンディカーは『ロータリー通解』
(原著名 A Talking knowledge of rotary)という書物を刊行した。
ガンディガーは、従来のこの種文献と同様に、新たな解釈ないし理想をたてるということよりも、ロータリーを、現実のままに記述することを目的とした。
同書は、その限定した範囲において、使命を十分に果しているもので、新旧クラブのために、すこぶる有益なものであった。
この『ロータリー通解』は、多年の間最も便宜な参考書として利用され、今日においても、決して不必要のものとなっていないが、ただ、最近個々の問題を、詳細に取り扱っている出版物が盛んにふえたため、それらに替えられた部分が相当に多い。
相互援助の観念は、一般的奉仕の観念に世を譲った。
一般的奉仕、すなわち約言して「サービス」と呼ぶようになったのである。
しかし、現在なお茫洋として、巨大な姿において蜃気楼のように現われている国際サービスは、当初は、かえって副産物のように考えられていたのであった。各国のロータリアンが、共通の任務に相提携して行くならば、国際間の理解親善は、自然の結果たるであろうと予期せられたのであった。