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宗教と政治の自由
(This Rotarian Age @)
ロータリーは、会員各自がその国家に対しては、忠実な国民として充分に各自の能力をあらわし、使用人、取引先その他事業上の関係者に対しては、適正な処理を怠らず、こうして個人として、またロータリーを通じて、奉仕の理想に合する実業および専門職業人の世界的交誼により、諒解と善意ついで国際平和の促進を感得せしめることを期する。
ロータリーは、ただ心の状態に休止するものではない。奉仕は実行に在る。会員たるものは、その日常の職務社交ならびに公共的接触から、他人のために計ろうとする本文と、自己を利そうとする欲望との、衝突を調和するために、発奮努力すべきである。
自己にさきだって奉仕を理念とするのは、そのなすべき正しいことだからこそである。よく奉仕すれば自己を益することも、また大である。
ロータリーは宗教団体ではない。ロータリーはいずれの宗教にも干渉しまたはこれに代ろうとするようなことを考えない。その概念は、すべての宗教の教義に合するものと仮定される。ロータリーは、会員の奉ずる宗教または政治には関与するものではない。ロータリーは、会員各自の国家に忠実であり、またその宗教に真ならんことを期待するのみである。
ロータリーは、代表的な実業人および専門職業人の集まりで、奉仕のロータリー哲学を信じ、事業の真正な成功、ならびに幸福の基礎として、奉仕の理論を考察しようと発起したものであり、その地方における、明確な事業または専門職業より一人をとるものである。各自は、その職務および日常生活の上に、この理論を移し、個人として、またクラブとして発動的教訓または例証をもって、ロータリアンはもちろん、会員外のすべてに理論上実際上共にこの信奉を奨励するものである。
今日の米国に、求め得られる最も尊ぶべき時代精神は、その国民一般に適用されている宗教の自由と政治の自由とである。
ニューイングランドその他の諸地方において、宗教自由のための闘争が大規模の流血を見ずして、成功をおさめたのに対し、政治上の自由のための闘争は、それほどに都合よくは終始しなかった。若いアメリカが、完全な独立国となるまでには、母国と2回の血戦をあえてせねばならなかった。そして続いて今一つの戦争も用意されてあった。
国際間の戦争以上に、嫌悪すべきものありとすれば、それは内乱である。
合衆国は、これを最も残酷な形において、経験せざるを得ぬ運命をもったのである。
1860年代初葉、北部と南部とは腥風(セイフウ・なまぐさいかぜ)流血のうちに握手したが、窮乏、困憊、極度の悲惨を不可避の結論として、人と人とは恐ろしき4年間を闘い続けたのであった。かくて、文化の時計の針は逆転したが、しかし、国民は痛手をふるって、憤然と立ち直り、いっそう聡明に、再び生活の戦いに突き進んだ。
ロータリーは、国際間の理解と親善の増進を助け、今後、武力使用の機会をでき得る限り少なくしたいと、こいねがう他はないものである。
南北戦争の直後、ニューヨークに一新聞記者が、「行け若人よ西部へ」と書きなぐった数言により、ニューイングランドを含む東部の各州に、大動揺がきた。平時の言挙で、これほどに世を震撼させたものはなかった。
田園から工場から家庭から、牛馬車の行列はたえまなく、西部に向かって開始された。父母、兄弟、姉妹、伯父、伯母、従兄弟、すべての者がこれに加わり、あるかぎりの交通機関は、これがために利用された。低廉にして良好な土地と、さらにそれ以上の富を求めて、勇敢な開拓者の群れは、野を丘を山を越え、延々として続いた。
彼らは同時に、宗教自由の教義をもおしひろめていったのである。その間に人員はイギリス本国、ドイツ、スカンジナビアなどの外国からの補充隊によって増加された。何人も歓迎であった。希望の旗を高く掲げて、約束された土地に向かって突撃した。
ミルウォーキーは余りに北に偏し、セントルイスは南に寄り過ぎているが、シカゴは、ミシガン湖の南端近くに位して、水運の便に恵まれるのみならず、大陸貫通の直線に接近していて、将来商業上の重要条件たるべき大陸横断交通の便を、良く利用し得るものであると。
他の諸都市も、それぞれ発展を続けて、支持者の喝采にむくいたが、シカゴは、はるかにひいきの期待以上に発達し、遂には、他の追随を許さぬ西部第一の巨大な首都となった。人種的、政治的、宗教的諸尖端が逢着し、相互に粉砕合流して、表面的に統一を形成する人間社会の大渦であった。かかる雰囲気の中に、そしてまた次に語るような条件の下に、明星ロータリーはここに出現したのである。