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協 調 の 礎 石
(奉仕こそわがつとめK)
ストライキは、沸騰点に達したことを示す寒暖計のようなものです。それは事態を暴露します。あなたは、過熱の原因を見つけてそれを除去することによって、その温度を下げるようにしなければならないのです。
確かにロータリーは“労働争議”の問題になんらかの回答を持たねばなりません。職業人としてはその会員の利害も関係しております。彼らの影響力は決して小さくはありません。“労使問題”の危機が労働者と雇主の個人的態度にますます深い関係を持つに至った今日、両者がそれぞれの理念をはっきりと打ち出すことが強く要請されるのです。
まず最初に、闘争は避け難いという敗北主義者的考え方を排除することが必要でしょう。
この考え方はカール・マルクスによって提唱された、歴史を階級闘争として解釈する考え方から出発しております。――もっとも、この考え方は、およそマルクスとは縁遠い人びとによってしばしば同調されてはおりますが――
労働者は、最小の労働に対して最大の給料を得ることにのみ関心を持つものであるとし、あるいは、雇主は利益以外何物も考えないと思う人はだれでも、意識的にあるいは無意識的に、マルクスの唯物主義に同調しているのであります。この基調の上に立った場合にのみ、労使間の闘争は解決されざるものとなると考えられるのであります。
また、ダーウィンの[血みどろの自然]という見方を捨てて、
“種の保存は協力の賜物なり”との説に荷担している近代の生物学者は、もはや避け難い闘争という考え方を支持してはおりません。大英百科辞典の動物社会学の項に書かれたアリー教授の説によれば、
[協力か然らざれば死滅]というのが生物界の法則である
ということであります。
論争に対する双方の唯一の考えは、ただ、“覇を制したい”ということであります。
覇を制したいという望みは、ストライキを生む組織の核心そのものに存在しています。双方が共に是が非でも勝とう、自分らの意思を相手方に押しつけよう、どんな失望、どんな頓挫をもたらそうとも自分の解決案に従わせようと決意してかかるところでは、闘争は絶対に避けることはできません。
たとえ一方が弱いために表面的な争いを回避したとしても、恨みを持つ陰鬱な気分は、相互の関係を気まずいものにします。お互いに生き残るために欠くことのできない協力は不可能となります。
彼らの福祉に対する考慮もなく、また彼らの権利を尊重することもなく、その従業員を圧倒した雇主が一体どれだけ高能率や発意やあるいは忠節を期待することができるでしょうか?
制覇しようとして成功した試しはほとんどありません。
労働争議においては、その結果は通例“妥協”であります。どちらの側も、闘争が余り苦しくなれば支配せんとする目的の一部を放棄します。この種の解決はしばしば“中庸の勝利”として歓迎されますが、あるいはそういうこともありましょう。
しかしながら、多くの場合それは単に不承不承の譲歩と、最も悪い意味の慰撫とを意味するに過ぎません。
多くの場合、“妥協”は結局最後には支配したいのだということを確証するに過ぎないのです。それは頑固と不誠実を力づけるものであります。押し問答を繰り返す無駄な折衝は、敵味方双方に負かされたという感じを与え、いずれ新たに力を得た暁には、闘争を再開しようと決心させるものであります。
闘争は避けられないという先入感にとらわれて、雇主と従業員、そして彼らの代表者たちは、支配しようという欲望に基づく、しかし、実際には妥協に終わるという手段の外に、これに代わる他の手段があり得るということを全く無視しているのであります。
ところが、一つの確かな歴然たる代案が存在しているのです。
そして、それによって労働争議の不毛の荒野から救い出す指導の機会も存在するのであります。
鍵となる言葉は[共同作業]であります。
これは相容れない利害を、もっと大きな共通の利害の中に吸収せしめようとする処置を示すものであります。
このような共通の利害の一つは、単に闘争は高価で無益なものであるということをお互いに認識することであると言えましょう。ストライキがあればすべての人が損をするのです。あるいはまた、彼らの衝突は雇主と組合にとって等しく好ましくない政府の管理や官僚の介入を招来するという労使双方の共通の不安であるとも言えましょう。
しかしながら、これらの消極的利害はなんら特定の解決策を示唆するものではありません。それは、闘争のために生活の有用な面から引き離されている、活動力を解放するものでもありません。
積極的な共通の利害の方がいっそう大きな創造力を持つでありましょう。
「労使双方の目標は、菓子の分け方について争うことではなくて、その菓子の大きさを大きくすることでなければならない。」
と話しましたが、彼はこれによって、協調のための上述のような一つの基礎を示したのであります。
彼の示唆した積極的目標は、個々の生産力増強、低価格、および売上増加の諸項目でありました。
協調の基礎として、それよりも更に広範な意味を持つものは、ロータリー綱領の第二部門である、『社会への奉仕』の結びの言葉に述べられている、“信条”であります。
これを特定の商業又は産業のための実際的な具体的提案に当てはめて解釈してみれば、これらの言葉は、その包蔵する意味において革命的であります。
これらの言葉は、労働者も経営者も共に近視眼的利己的考えの上にその要求の基礎を置かないで、事業の拡張、生活水準の向上、および一般の繁栄という[共通の利害]にその要求を結びつけるようにしなければならないことを示唆しています。
この感激的な語句――すなわち、『社会への奉仕』――が、単にストライキを防ぐためだけでなく、新しい真の協力精神を広める本当の希望を与えるものである。
(1) 協調の基礎――すなわち『社会への奉仕』――は必ず説明されなければなりません。具体的なはっきりした言葉に書き替えることが必要でありましょう。同時に、ロータリアンはこの共通の利害に対する彼自身の関係はどんなものであるか、自分の考えるままを率直に明示すべきでありましょう。
(2)両者の特殊の利害は、共通の利害に照らして考慮されなければなりません。手の内を隠さず、全部さらけ出さなければなりません。しかし、一度すべてがいい尽くされたならば、双方は『社会への奉仕』の見地からそれを再評価するよう努むべきであります。
そのねらいはおのおのの側が実際に何をしているかを見出し、そして、それらの個々の目標をどうしたならば[共通の目標と調和させる]ことができるかを見つけ出すにあります。次にこれらの実際の要求を『社会への奉仕』の意味に照らして解釈します。
そして、この両者を比較して見るのです。これら2つは妥協できないものでしょうか? 両者を結びつけて一つにすることはできないでしょうか? 両者はほとんど同じものだということにならないでしょうか?
従業員が真に求めるものは――
公正な日給
生活の安定
本当の刺激
認めてもらうこと
経営方針策定への参画
雇主が真に求めるものは――
公正な一日の仕事量
忠実と好意
生産性の増大
発意と着想
投資に対する公正な利潤
これらは賃銀と時間、厚生基金、有給休暇、その他数多い問題についての議論の根本に横たわる真の要求ではないでしょうか?
これらの要求は、『社会への奉仕』ということを両者ともに認めることによって“満足させる”――妥協するのではなく――ことのできる、至極穏当な、正しい要求ではないでしょうか?
(3) このような手段は、行動が伴わなくては完全ではありません。共通の目標に対する意見の一致、最も満足すべき話し合いも、目に見える結果が直ちに現われなければ、単に幻滅に終わるだけでしょう。
行動の範囲はいろいろの事情によってきまるのでありますが、その性格は、当事者双方の相異なる利害を、共通の目標に対する両者の見解の一致に結びつけることを明確に表示するようなものでなければなりません。
すみやかな行動――そして、それは引き続きそのような行動が継続されることを約束するような――は“誠意の証拠”であります。
『社会への奉仕』の精神が、多くのロータリアンの対労働者関係において、すでに行なわれているということは明らかであります。
最も零細な事業においてさえ、それは従業員との会合における討議の課題となり得るのであります。
専門職業人でさえも、競争者、仲間、または顧客に対して、『協調の基礎』としてこれを率直に提案することによって、この構想を流通させることができます。教育、感化、および実例の提供によって、至る所に存在している“合同工作”の機会は、流行の階級闘争に対する強力な抗毒素となり得るのであります。
もしロータリンである雇主が労働組合の幹部を招いて、『社会への奉仕』という理念に照らして見た場合の彼らそれぞれの役割について話し合ったならば、その組合幹部の職業の安定に貢献すること多大なるものがあるのではないでしょうか?
話し合っているうちに彼らの間に“合同工作”の機会が捜し出されるかもしれません。敵手としてでなく仲間としてお互いに利することができるでしょう。
また、ロータリー・クラブは、その例会の席上で、労働組合指導者に同一の問題を出し、労働運動の中にこの企画を発展させるためのプログラムを、いっしょになって作り出すこともできましょう。
あるいはまた、そのクラブは、合同工作を推進することをその任務とする、聡明でかつ政治的手腕のある組合代表者をもって、公式に[労働団体]と呼ばれる職業分類を充填する可能性を考慮することもできましょう。
このような接触からどんな大きな反響が生まれるか測り知れないのです。
それは責任ある労働組合の指導者――その多くはロータリーによって感動を受けた前記労使団体の会員でした――が、雇主の誠意を一般の組合員に信じさせることができたからであります。
それは、彼らが個人的な知り合いと経験とを通じて得た彼ら自身の確信であったのであります。