ロボットか人間か

(奉仕こそわがつとめI)

 

 今日でも我々は第2の産業革命の入口に立っていると言われています。機械が労働者を単調で同じことを繰り返す仕事に縛りつけていたのが、労働者に代わってしかも彼より上手にできる新しい機械が現われて来つつあるのです。

 

第一次産業革命は筋肉力を機械力に置き換えましたが、オートメーションは人間の判断を機械の判断に置き換えます。しかも機械の判断にはご誤謬が無いのです。今まで人間のやっていた機械的機能はロボットが引き受けるようになって、人間は更により高度の技術を働かせるために解放されるでしょう。

 

 現代の雇主は、オートメーションによって提起された過渡期の諸問題を乗り越えるための、生産における人間の機能について、はたしてより深い理解を持っているでしょうか?

――その諸問題とは、従業員により高い技能を訓練し、向上させる問題、企業競争の新しい形態に適応するための調整の問題、および急激にふえた生産を分配する問題であります。

 

 「ロータリアンは職業奉仕において、次の問題に熱心、かつ不断の考慮をいたすこと以上に重要な貢献をなすことはできない。

その問題というのは、すなわち、どうしたならばわが社を人情深いものにしうるか? 

また、どうしたならば私のために働く男・女・男の子・女の子一人一人をして、真の意味において苦労も、野心も、成果も、希望も、悲しみも、そして共々の事業の報酬も、すべて私と分かち合う事業上の家族であるということを知らしめることができるかということである。」

 

 世界のどこにおいても、商業および工業の指導者は、人間工学を新開拓面であるとしております。

 

 これらの意見は、全世界に衝撃を与えそして膨大な実際上の影響をもたらした3つの圧倒的経験――すなわち、世界不況世界戦争、および戦後の勢力争い――の結果必然的に生まれて来たのであります。

この時代の最大の問題は技術の進歩に人間関係の進歩をマッチさせることであると言うことを、それぞれ異なった方法で実証しています。

 

 人間工学が機械工学に追いつくまでにはまだ大きな距離があります。

 

 ハーバード大学の教授たちが行なったある研究は、同一仕事に従事している同じ女工たちの観察に5ヵ年を費やしました。彼女たちの私生活及び雇用条件についての、予想しうる限りの変化と、彼女たちの私生活及び雇用条件についての、予想しうる限りの変化と、彼女たちの生産量との関係が入念に観察されました。

すべての人がこの調査の結果を喜びました。なぜなら、労働条件の改善は、生産と労働者の収入とを増したからであります。

しかるにその時研究員の一人が、元の条件すなわち休憩や中食等の時間を除いて週48時間労働に戻してみることを提案しました。その結果は予想に反して、生産は減ずることなく相変わらず高い水準を維持しました。

労働条件を改善して過労を除けば、自動的に生産は増すものであるという説はくつがえされたかに見えました。

 

 世界的に有名なある電気器具の製造業者が、いろいろの照明が労働者の生産性に与える影響について実験したことがあります。実験を正確にするために、なんら目につくような人格的欠陥のない一群の人たちを選び、設備はすべて彼らの満足するようにつくられました。

この人たちの作業に完全な照明を与えてやったところが、この一団の生産は激増しました。ところが照明を減じてもなんらの差を生じませんでした。最後には月の光程度の照明のもとでもこの一団の生産性は元のままでした。

してみると、満足している労働者は、物理的障害を克服できるもののようであります。

 

 改善された条件や報酬という明白な刺激の裏に潜んで、しばしばこれらの刺激を無にしてしまう人間の持つ強力な感情というものは一体なんでしょうか?     

それは、雇主ばかりでなく、販売員、教師、医師、および歯科医師、否、実はその他いやしくも人間を徹底的に理解することを必要とする職業に従事するあらゆる人が関心を持たなければならない問題であります。

 

その解答は無限に多様でありますので、解答が特定的であればあるほど結構なのですが、エール大学の労働と経済研究所が到達した一般的な結論は次の通りです。

 

 人間という有機体の目標は、その中味が掃除夫であると、はたまた会社社長であるとを問わず、次の諸項目を獲得することである。

 

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@      同輩の尊敬

A      物質的慰安と最も恵まれた者と同様の経済的安定

B      自分自身の事柄に対する支配力の増強

C      自分の世界に影響を持ついろいろの力や要素についてのより良き理解

D      生計保全の基礎

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 新開拓面である人間工学を要約している上記事項は、今日行なわれている研究の型を示すものといえるでしょう。もしそれが余りにも理論的だと思うなら、ロータリアン諸君は、マイケル・ファラデーが初めて電磁気の実験を公開した時の言葉を思い出していただきたいのです。

 

ある国会議員が、一体それはなんの役に立つかと質問したのに対してファラデーは答えました。

「そうですね、一体生まれたばかりの赤ん坊はなんの役に立つでしょうか? しかしあなたはいつかはこれに課税することができるでしょう。」

 

 人間工学は、次第に発達して行くにつれ、単に従業員の研究においてのみならず、職業奉仕のすべての面においてもますますその功績を発揮するでありましょう。

いやしくも人間関係を伴うあらゆる職業関係は、それらの人びとの目標、感情および能力について、細心の研究を必要とします。この研究の結果に照らして、個人的態度や方針を絶えず再評価することが必要であります。

すべての店、すべての事務所、すべての作業場、すべての工場は、生きた重要知識が組み立てられることを待っているところの、人間工学の実験室であります。

 

 この観点から、ロータリーの綱領によって課せられた、

「あらゆる有用な職業は尊重されるべきであるという認識を深めること」積極的な意義を持つのであります。

 

 自分の職業がいかに品位の低いものであっても、それを価値のある尊重されるものとするのはその人の力によるのです。

 

 事業成功のために不可欠である真の基盤――すなわち、“事業は奉仕である”――の上に建設しつつあるのであります。

 

 「私はあなたに一つ質問をします。なんにも考えないで即座に答えてください。――即座にですよ!

――あなたは、あなたの従業員が好きですか?」

 

 そのロータリアンの話によると、彼は不意を突かれてひどくびっくりしたというのです。

「私はその質問にすぐには答えることができなかったのですよ。もし家内や子供を愛するかと聞かれたのなら、私は考えるまでもなく好きですと答えたでしょう。

しかしこの質問を出されて私がそれに答えることができなかった時に私は、私に間違った点のあることを悟りました。」

 

 「その代表者の、私に対する忠告は、“帰ってから彼らを愛しなさい。そして、その結果どんな違いが起こるかをごらんなさい”と言うことでした。」

 

 従業員も人間であります。すべての人間と同様に彼らも人に好かれたいのです。それは大きな違いを生じます。そしてその違いはいろいろの面に現われて

来ます。

ある素晴らしい新しい機械を据えつけた大きな工場を訪れた人が、その会社の社長に感想を述べました。

「新設備は確かに素晴らしい。そして相当金がかかったことと思います。しかし私を最も感激させたものはこれらの新設備ではありませんでした。

それらのすばらしい作業場を歩き回って私の胸を打ったのは、あなたの使用人たちの顔に現われた表情、常に浮かべていた微笑、それから一部の人たちとかわした言葉でありました。それはこれらの人たちがあなたと“共に働く”ことを喜んでいることを示し、そして大きな企業といえども人間味を失うべきではないことを物語っておりました。」

 

 従業員を人間として遇するためには、彼らの仕事とは、わずかなつながりしかない事柄をも、考慮に入れなければならない場合が起こってくるものです。

従業員の物質的、社会的、精神的福利に対する好意的配慮を示す具体的手段は無数にあります。快適な健康的労働条件の提供は、当然従業員とその家族に対する無料医療施設、経済的な住宅供与、娯楽設備、有給休暇、および年金制度等の実現にまで及ばなければなりません。

 

 「我々は労働者の生活を生きがいのあるものにしようとしております」

 従業員とその家族のレクリェーションのために、

「我々の計画の核心をなすものは、健康な労働者は病身な労働者よりも多く生産し、愉快に働いている労働者は不満を持つ労働者よりも、質においても量においてもまさる仕事をするであろうという信念であります。」

 

 従業員を人間らしく遇するこれらの努力は、財政豊かな会社だけに限られたものではありません。お互いに新しく“お前”“俺”と呼び合うような小さな企業は、その従業員の福祉について広範な計画をなし得るし、また事実これを実行している場合が多いのであります。

 

 「我々は、冬にはボウリングのリーグ戦を開き、シーズンの終わりには宴会を催します。夏期には彼らのためにピクニックを催します。また、ホッケーの試合をします。彼らの多くは釣に出かけその収穫を写真にとって帰ります。

我々は最も大きな魚を釣った者には賞品を与えます。彼らにとっては大変な楽しみです。

彼らはあなたのために働いているのですから、あなたはこれらの人たちのために尽くさなければなりません。金銭だけでなしに、他の何物かをもって彼らに報いておやりなさい。なんとなれば、当世では金だけでなんでも買えるものではないからです。」

 

 小企業はいかにして貯蓄計画、団体保険、貸付保証等によって従業員の便を計ることができるかが説かれています。

 

 労働者を愛し、そうして彼らを人として考える雇主にとって、その気持を現わすための具体的方法を示す素晴らしい実例はいくらでもあります。

はたして従業員は彼らが受けている恩典に感謝しているでしょうか? 

これらの高価な贈り物が士気の高揚、生産性の向上、補充労働者数の減少、常習欠勤者の減少となって報いられているでしょうか?

 

 自我意識の強い博愛主義者の「いかにも善事を行うぞという仕草」は、多くの場合反感を買い、往々にして疑惑のもととなるのであります。

 

 その企画の立案には労働者が当然相談にあずかるべきだという結論が生まれて来るのではないでしょうか?

「従業員も人間である」と言う考えを更に進めて、彼らはまた「1個の人格」であるという認識をも包含せしめ得ることになります。

このような人格を持つ者は、選択の自由を持ち、したがって恐らく拒否する自由をも完全に認められる所でなければ、参加しないでありましょう。

 

 したがって従業員を心身ともに健康に保ち、苦労の種を除き、満足して仕事のできるようにするために使う費用には、十分の理由がある訳であります。

このような結果をもたらす恩恵は、団体としての従業員に与える場合の方が個人個人の手でこれらの恩恵を求めようとする場合よりもはるかに経済的になし得るのであります。

 

 ロボットか人間か? 結局においてそれは“自尊心の問題”ではないでしょうか? 

自分の仕事の重要性を感じて、それを誇りに思う労働者は幸福であります。