![]()
奉仕こそわがつとめ
(献 題)
職業奉仕は、何人といえども――たとえ指導者、講演者、あるいは委員会であろうと――あなたに代わってすることのできないものであります。
それは、ロータリーの綱領に宣言されているように、あなたのクラブの最も重要な目的であります。
『すべての有益な事業の基礎として、奉仕の理想を鼓吹し、これを育成し……』
それは、特にあなたの《事業》――あなたの日常の仕事――あなたのロータリー・クラブにおいて、あなたが代表している職業分類に、示されている職業を意味するのです。
この職業分類を保持するという特権は、義務を生じます
――それは、[ロータリーをあなたの職場で活用すること]――
すなわち、[自己に優先して奉仕]を、あなたの仕事におけるあらゆる原則、方針、および行動の基礎とすることであります。
あなたは、それらの事例の粗朶(ソダ・伐り取った樹の枝)に、自分自身の炎をたきつけて、あなたの実業、または専門職業の中に、奉仕をあなたのつとめとする、特定の使命を求めるよう要請されるのであります。
注:1946年、目的ならびに目標委員会の一委員として、元会長〔パーシー・ホジソン〕は、職業奉仕を個人ロータリアンに対して、いっそう現実的なものたらしめる必要を感じました。
この理念は、次の年の委員会に連なった、故〔ゼームス・ウオッチャースト〕によって、熱心に支援されました。
これら二人の職業人の熱意の結果、『奉仕こそわがつとめ』が、初めて出版されることになったのであります。
進軍ラッパの響
(奉仕こそわがつとめ@)
散文は、無味乾燥なものです。――あたかも、生きんがための長い年月にわたる苦役によって、生計を立てる日々の刻苦が、無味乾燥であるように。
しかしまた、散文は、自分の職業に奉仕の機会を見いだした実業人、専門職業人、ないしは高ぶらない職人の人生と同じように、“霊感”をもって躍動する、興味津々たるものにもなり得るのです。
苦役か奉仕か。
これこそ、すべての人が、仕事に取りかかろうとするときに、直面する日々の選択課題であります。自分の職業を、どのように見ているかが、最も重要であります。その見方は、その人の見解によるものであります。
“奉仕こそわがつとめである”という見解こそ、職業奉仕の最も簡単な説明であります。
“われわれは、単に自分の心に問えばよい”のでありまして、そうすれば、それが何を意味しているかが、はっきりわかるのです。
たとえば、私の職業では、奉仕が私のつとめとなっているでしょうか?
私の顧客、患者、または生徒の求めるものについて考慮する場合、常に、彼らの最大利益ということが、私の考えのまっ先にあるでしょうか?
競争が激しくなって、他人の圧迫が、強くなった場合はどうでしょうか?
ストライキが起こりそうになったり、従業員が不当と思えるような、不満を提起したりする場合はどうでしょうか?
価格を変えることや、新しい製法や、あるいは新たな投資などに関連して起こる困難な決断の問題に直面したときにも、奉仕は私のつとめとなっているでしょうか?
奉仕こそわがつとめです。
その説明はきわめて簡単です。しかし、職業人がその日々の仕事の中で出くわす、さまざまの事態は、非常に複雑であります。奉仕を行おうとする環境が、冷酷、かつ落胆させるような場合もありましょう。
職業奉仕の領域が、ロータリアンの目標と、業務に限られると考えることは、間違いであります。その分野は、もっと広く、具体的な特定の活動を、更に待望しているのでありまして、個人の良心の問題というような繊細な問題は、二の次なのであります。
職業奉仕とは、ロータリアンでない他の人びとと“分かち合う”こと、すなわち彼らと、ロータリーの理想を“分かち合う”ことであります。
職業奉仕のこの概念は、ロータリーの中核ともいうべき原則、すなわち“職業分類の基礎のもとに会員を選ぶ”という原則に由来しているのであります。
各ロータリアンには、その職業分類の受託者として、ロータリアンでない他の人びと――特に彼と職業上のつながりを持つ人びと――をも、『奉仕こそわがつとめ』という考え方の会得に、均霑(キンテン・浸透する)せしめる責任があるのです。
職業奉仕は“分かち合う”ことである。というこの見方は、あらゆる当惑、あらゆる活動に対する障害を、除去するものではないでしょうか。
各ロータリアンのたどるべき道は明らかに示されています。
彼の仕事は、ロータリーの理想を伝達し――すなわち彼の職業関係における、あらゆる人びとに、この理想の適用を説明し、――そして、これらの人びとをして、その日常の判断や業務に、これを具現させるようにすることであります。
このように考えるならば、職業奉仕は、老人の慰安施設や、身体障害児童の救済事業と同じように、具体的に、行動の上に現わすことのできるものであります。そして、職業奉仕委員会の任務も、同様に明瞭であります。
ロータリーにおいては、
他の人びとに対する“思いやり”ということが[奉仕の基盤]と考えられ、
他の人びとのために“役立つ”ことがその[表現]と考えられております。
この[基盤]を提供するため、職業奉仕委員会は、会員たちに対し、各自の日常の実業ないし専門職業活動において、直面している実際問題を通して、考えるよう激励すべきであります。
この“事例研究方式”による職業奉仕は、いかなる概念的な説教よりも、はるかに会員を感動させるようであります。
クラブ例会、または炉辺会合において、一人の会員の窮地について、討論が行なわれると、他の参加者も、各自がそれぞれ直面している問題を、話すようになります。
このようにして、職業奉仕から、その理解しにくい性格が消えうせて、生活の基盤の中に定着するようになり、そして、各ロータリアンは、いかにすれば“各自の職場に、ロータリー精神を生かす”ことができるか、ということの明確な実例を提供するのであります。
[職業奉仕こそ、ロータリーの挑戦である。]とは、いわば、あるロータリアンの吹き鳴らした“進軍ラッパの響”であります。
[これこそ、世界中の数多の団体の中で、ひとりロータリーが、特異な存在となっている重要な特徴である。]
職業における奉仕というロータリーの考え方を、今日ほど、切実に必要とする時代は、いまだかってなかったという。この世の中における、“ロータリーの主たる存在意義はここにある”と言っても、恐らく過言ではないであろう。
「何となれば、今日は移り変わりの時代である。
衝突と階級闘争が、影をひそめて、友愛と協調が、これに取って代わるような世界。働く数百万の人びとを、絶望させないで満足させる世界。奉仕を、あらゆる有益な事業の基礎とするロータリーの考え方を、お互いに認め合うことを基盤とする世界。
このような世界を、不安の真直中に創造する機会を、我々は、持っているのである。――このような機会はいまだかってなかったのである。
職業奉仕の、広範な社会的意義にも劣らず、強く要求されるものは、個人個人の、自己批判の成果であります。自分の職業における、奉仕の意義を解剖して、スイスの一博物館の館長は、それは自分に生計を与えてくれる社会に対して、自分が負う責任を上回る“プラス・アルファー”であると解釈しています。
「奉仕は、常に将来のために考えられるのである。すなわち、より良い社会が創造できるという信念であり、将来への貢献であり、そして、将来に対する確信である。」
失敗や失望に遭っても、その幻を失わない人――他の人びと、および人間社会のために、役に立ちたいという目的を中心として、自分の職業生活を築いた人――これらの人びとは、必ず報いられるものであります。
ロータリーにおける各職業分類は、いずれも皆惜しみなき貢献者、すなわち自分の選んだ職業の水準を、高めるために多くの失望に堪え、批判と物質的損失の危険を冒した人びとの名前を、同じように、たくさん数え上げることができます。
過去を振り返って見て、最もやり甲斐のあった経験として、自分に恵まれた、“社会に奉仕する機会”を挙げない人は、ロータリーには一人もいないでしょう。
これらの機会が、いかにして日常業務という粘土素材からつくり出されるかを、これから例証説明することにいたしましょう。