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道徳律(倫理訓ともいわれる)の経緯
1913年、ニューヨーク州バッファローで開かれた第4回大会において、ロータリーの理念を簡単に表現することが議決され、その起草委員長にシュー・シティ・クラブのロバート・ハントが任命されました。
彼は、全世界のロータリアンからアンケート調査を行い、さらに、この道徳律に盛り込まれる内容が寄稿されましたが、それは幾千語にも上りました。
これを起草委員会で分類整理し、その簡潔な表現を作成すべく作業にとりかかりました。
この道徳律の原案は、翌年の1914年のテキサス州ヒューストン大会に提出することになっていたのですが、彼は業半ばにして転任のため、ロータリーを退会せざるを得なくなりました。そこで後事を、友人の牧師であるJ.R.パーキンスに託したのであります。
彼は、アイオア州シュー・シティから大会行きのロータリー列車に乗り込んだ数名の友人と一緒に、列車の中で起草に取り組みました。
一応、5000語にまとめたのですが、これをさらに10分の1に圧縮しようと試みました。
時は6月下旬で、今日のように冷房があるわけではなく、炎暑の中をガタピシ揺れる列車の中で必死の作業でした。カンサス・シティ駅まで来たとき、そこへシカゴから同じく大会行きの特別列車が入ってきて、アイオア州からの列車と連結されました。
シカゴ・クラブの一会員が親切にも彼の客車の一隅を提供してくれました。ここで6人の起草委員たちは、上着を脱ぎ捨てネクタイをはずし、ワイシャツの袖をまくりあげての労働であります。
用紙もろくにありませんでした。使用済みの封筒の裏に、便箋の表紙に、その他手当たり次第の紙片に、彼らは書き記していきました。終わりなる頃、鉄道会社用の割合にきれいな用紙が7枚見つかりこれを使いました。特別列車がヒューストンの郊外に着くころ道徳律の草案がようやくまとまりました。本当に暑さと汗との中での労作でありました。
ヒューストンの大会では、この原案を印刷して各地のロータリアンに送付し、各自に検討を求めました。そして、翌1915年7月19日〜23日の第6回サンフランシスコ大会に提出されました。
この大会ではほとんど起草原案を修正することなく『全分野の職業人を対象とするロータリー道徳律(倫理訓)』として採択いたしました。
このロータリー道徳律は、その後40年間にわたりロータリーの実践道徳の指針としての役目を果たしたのであります。
この道徳律は前文と11か条の本文から成ります。
その前文では次のように述べています。
「わが職業基準は、人間共同社会に対する思いやりの気持ちを表明するものであらねばならない。
わが取引、わが欲望、われをめぐる諸関係は、社会の一員としての最高の義務を常に考慮に入れる心構えをもって、行なわれるべきである。
職業生活上いかなる立場においても、またわが当面するいかなる責任の場にあっても、わが主たる思考は、その責任の完遂であり、その義務の履行であらねばならない。
しかも、この責任・義務の完了した時には、人類の理想と成果の水準が当初に比して、多少でも高揚されたと言えるようになされるべきである。
この見地に立って、ロータリアンとしてのわが責務は、下記の道徳律を遵守するにある。」
として、11か条の本文に入ります。
この道徳律の中には、ロータリーの【サービスの真髄】が盛り込まれています。
今日では、この道徳律が国際ロータリーの文献に印刷されず、新しいロータリアンの目に触れる機会が与えられないのは、非常に残念だと思います。
印刷されない理由として、「この本文については種種の批判があること。および、ロータリーの文書として、全世界を通じての有用性に関し意見の一致を欠くため、国際ロータリーはこの道徳律の配布を中止した(1952年)。
理事会は、道徳律の言葉づかいを改善することが可能だという意見に同意して、改定委員会を任命した(1972年)。
しかし、次年度の理事会はこの道徳律よりも、ロータリーの綱領に重きを置くほうが良いという意見に一致した。云々。」
道徳律の中の、どの部分が後年世界のロータリアンの間で、意見の一致を欠いたのかはっきりといたしませんが、どうやら、第6項のアフターサービスの問題、また第8項以下が、すこしくどいようにも思われます。
さらに、第11項は、あまりにもキリスト教義を前面に出しすぎるきらいが感じられ、いくらか勇み足と見られて反発があったのかも知れません。