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サービス思想の意味するもの
塚 本 義 隆 著(大阪R.C.)
『ロータリーは、基本的には,自己のために利益を得ようとする欲望と、人のために奉仕しなければならない義務感との間に、絶えず生ずる葛藤を、調和しようとする人生の哲学である。』といわれます。この哲学こそ、
Service above self (超我の奉仕)
He profits most who serves best (最もよく奉仕するもの最も多く報いられる。)
との実践倫理原則に基づくものである。
1.He profits most who serves best:
1908年、当時シカゴは暗黒の時代で、実業界の道徳は最低水準にあったのです。成功を求めようとすれば無慈悲な搾取か、必要とあれば詐欺も敢えて辞せずという状態で、美徳は弊履のごとく投げ捨てられた時代でありました。
さらに、悪徳と不信用が横行して、消費者は自分で自分を守る以外に方法がない状況でした。ところが、その中にも若干の例外があることをシェルドンは発見したのです。それは公明正大に経営されている商店、会社の中に、最も成功しているものがあるという事実でした。彼はその成功の秘密を探求した結果、ついに結論を得ました。
それは他人の立場を考えて、その人のためになるように尽くすこと、すなはち『サービス(奉仕)』がこれだというのです。
ロータリー・クラブがその初期の活動を通じて、これを一般哲学上の概念で表現しようとしたのはアーサー・フレデリック・シェルドンによって行なわれました。彼はミシガン大学の経営学部の俊秀であり、販売学の大家でありました。
彼によると、商取引というものは【売り手と買い手の双方の満足】なくして成り立つものではないということ、長期的に商売を成立させるためには、売り手と買い手の間に【信用】と呼ばれる信頼関係が確立されることが眼目であって、長期的に安定した利潤をあげることは、この信用の確立という精神的境地の確立と表裏一体の関係にあると考えるものでした。
彼はこのような精神的境地の確立をシカゴ・クラブの行なおうとしていた“話し合い運動”を主な柱とする【精神的相互扶助】を理論的根拠と考え、これを相手方のために考えようとする『サービス(奉仕)概念』と一致するものであると考えました。
すなはち、ロータリーの『親睦』こそ、『利己と利他との調和』=『サービス(奉仕)』の会得を可能ならしめる場として捉えるべきだというのであります。
商人は利潤無くして自己の事業を成り立たせることはできない。しかし、利潤獲得に名を借りて、儲けのためならば手段を選ばないということになれば、社会がいかに醜いものになるかは推して知るべきである。このとき、商人も利益を得て物心両面の幸せを得るが、それと同時に、顧客も商人と取引を行なったために物心両面の幸せを得ることができる。この『利己と利他との調和』=『サービス(奉仕)』こそ、商人と顧客との間の関係を規律すべき偉大な原則であるべきであると考えたのであります。
シェルドンの見解によれば、この『サービス(奉仕)の法則』は、自然界における引力の法則と同様に、厳然として誤りのない法則であったのです。
彼は、宗教界で牧師が神の言葉を伝導するがごとく、実業界における『サービス精神(奉仕の心)』の伝道師であった。と後年ポール・ハリスは述懐しています。
1908年のある夕べ、ミネアポリスの理髪店でその組んでいた長い脚を解いて椅子から立ち上がり戸外に出たとき、シェルドンの頭脳に電光のごとくひらめいたのは、“ He profits most who serves best”(最もよく奉仕するもの最も多く報いられる。)
1911年8月の第2回全米ロータリークラブ連合会のポートランド大会において、シェルドンは自ら出席することができなかったので、シカゴのロータリアンにメッセージを託し、この大会で代読されたのです。出席者一同は耳をそばだてて聞き入りました。
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「経営の科学とは奉仕の科学である。その科学とは、すなわち“He profits most who serves best”である。広い意味においてめいめいはセールスマンであり、おのおのは売るべき何ものかを持っている。それがサービスであろうが品物であろうが。人生における成功は、広い意味では幸運とかチャンスとかによるものではなく、自然の法則に支配されるものであり、精神的、道徳的、物質的および霊的な法則に左右されるものである。
すべてこれらの自然法則と調和して働けば、最高級の成功を勝ち得られるはずである。人もし宇宙の大法則を知れば、おのずから万物存在の意味が解けてくる。それは、人類連帯性の自覚であり万有一如の認識であり、人間皆同胞の理解である。この高い水準に立って眺めるとき、人々は次の事実が誤りなき現実であることを了解するにいたるであろう。
すなはち、商売の上であろうと、はたまた一般処世の上であろうと、“He profits most who serves best.”(最善のサービスをなすものに最大の利得がある。)のである。」
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このメッセージの代読が終ったとき、大会場はしばらくの間シーンと静まり返っておりました。爆弾が突然落下した感じだったのです。しかし間もなく大拍手の渦が巻き起こりました。
2.Service above self :
運命は不思議と言わねばなりません。他のひとつのロータリー・モットーが同じ年の大会で披露されたのであります。おそらく最終日のことであったでしょう。大会のホストクラブは船を用意して参加者全員を乗せ、町を流れるコロムビア河を上っていきました。会員は両岸の景色に見とれていましたが、抜け目のない全米ロータリー連合会会長ポール・ハリスは、船上での大会を終日会議に引き当てるよう指示しました。会員はにやにや笑いながら賛成しました。スピーチに飽けば素晴らしい絶景を眺めて楽しんだらよいというわけです。
この日のスピーカーの一人にフランク・コリンズという人がおりました。彼は弁護士で、ミネアポリス・クラブの会長です。1年前に誕生したばかりの新しいクラブです。コリンズは堂々たる風采の人物で、この美しい8月の朝、船上に集まった全参加者は彼の力強い演説に心を奪われたのでありました。彼は結論として次のように述べました。
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「ロータリー・クラブの組織においてはなすべきことがただ一つある。それは正しくスタートすることだ。ロータリーに入会する人間で、ロータリーから何ものかを得られると期待してやってくる輩は、教室を間違えて入ってきた生徒だ。そんな考え方はロータリーではない。ミネアポリス・クラブが創立以来採ってきた原則であり、しかも厳守してきた原則は、“Service, not self ”(自己滅却の奉仕)である。」
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またもや、『サービス(奉仕)』という言葉が飛び出しました。しかも今度は短い文句で出てきたのであります。参加者たちは今回のサービス(奉仕)の意味をたちどころに捕らえました。なぜならば、シェルドンの“ He profits most who serves best ”を聞いて幾ばくも経っていなかったからです。
しかしこの短い文句がロータリアンたちの心に食い入りました。どのクラブも両方のモットーを採用しようと考えたのであります。
当時のアメリカでは広告が新たに大きな力を持ち始め、かつその方法として短文のキャッチフレーズが大はやりでした。ですから、寸鉄人を刺す殺し文句は大いに人気があったわけで、近代的な販売手段として必須だったのです。
そしてロータリーもまた、ロータリーを会員たちに売り、広く世界にも売ろうとしていた時代でありました。
この短文のスローガン『Service, not self』に対して、誰が最初に文句をつけたのか明らかでありませんが、クレームがついたのであります。 “Service, comma not self ”の “self” はそれほど悪くはないが、人はみな自己を尊ばねばならないし、また、人はみな自己を守らねばならない。だがもし、自分自身が有能でなければ、サービス(奉仕)は出来ないであろう。それならば、己れ自身を否定する “not self” はおかしいのではないだろうか。
われわれは自己を第2に置こうと言うのであって、自己を全面的に捨て去るという訳ではないであろう。
人間の自己追求心はすべての生活の出発点であり、この自己追求心があればこそ人間は進歩するのである。ただその進歩を動物的なものから人間的なものに“昇華”させるためには何らかの思索によって、これを本能に反する活動に転化させねばならない。
自己追求心を出発点としてその目標に『サービス(奉仕)の概念』を置く思考形態として、ロータリーの特質が浮き彫りにされるのである。
ポール・ハリスの言うように、
「ロータリーとは自己の権利を主張するに先立って、自己の義務の履行を考える思考である。」
という立場とも結びついているのである。
そういう理由なら “not” を消して、『Service above self(超我の奉仕)』と直したらどうだろうかと、誰かが言い出したのです。
「そいつはいい線だ。おれはそれが気に入った。すべてを言い尽くしている。」と叫んだのは、どうやら例のセールスマンのシェルドンだったらしい。そこで、彼の言うように、みんなが一致賛成したのです。
その結果、数か月のうちに『Service above self』の文句が多数のロータリー・クラブで、手紙のヘッドに、またパンフレットに、スピーチに、宣言文に、使われはじめたのです。また、時には二つのスローガンを組み合わせて、『 Service Above Self : He Profits Most Who Serves Best 』のように印刷されたのであります。
シカゴ・クラブのみならず、どこのロータリー・クラブでも使用したのでありますが、ただ、これはまったく非公式の形で、約40年の長きにわたって使用された後に、1950年のデトロイト国際大会で、はじめてロータリーの公式モットーとして2つのスローガンが指定されるにいたったのであります。
3.二つの標語の優劣 (塚本義隆P.G. 大阪R.C.)
私はここで、前に述べた2つのモットーの間に優劣はないということを付け加えたいと思います。それを申述べたい理由は、本年6月の第63回ヒューストン国際大会の規定審議会へ国際ロータリー理事会の提案として、2つのモットーの中で、“Service Above Self”の方を第1位のモットーに指定して、ロータリー文献その他にこれを使用するという決議案が出たからです。
この理由としてあげられたのは―
1)、“Service above self”の方がより広く認められており、英語以外の国語で使用する場合に“He profits most who serves best”よりも適訳しやすいこと。
2)、その結果として、“Service above self”が一般大衆からも、またロータリアンからも、ロータリーのプリンシパル(第1位の)モットーとして認められるようになったこと。
3)、“Service above self”が、ロータリーの基本原則、綱領ならびに奉仕の理想を最も端的に表現するモットーとしてロータリアンから認められるに至ったこと。というのであります。
これは72―76号決議案として提出されたもので、さらにその説明にこの決議が可決された場合でも、ロータリーの2つの公式標語を決定した1950年デトロイト大会の決議50―11号を廃止する訳でも、また如何なる修正を加える訳のものでない、と断わってありました。
しかしながら、2つの中で一方を第1位の標語だと指定した場合には、国際ロータリーの諸文献や便箋封筒などには、これだけが使用されることになって、他方は第2位に陥落して、蔭が薄くなるであろうことは、当然考えられることです。
従ってこの新決議案に対しては、私は重大な関心を持ったのです。私は本年のヒューストン大会の規定審議会に提案された83件の議案中で、一番重要な案件であると最初から気付いておりました。
それ故に、本年3月3日、大阪の高槻における第366地区大会の前夜懇談会でも、参加各クラブの会長、幹事諸君の前で、このことを説明して皆さんの意見を聴きました。そして大多数の方々は、理事会の新決議案72―76号に反対の意向であることを知りました。
6月10日(土)の午後、ヒューストンにおける規定審議会2日目も、よう
やく終りに近付いた時、この決議案の検討が始まりました。最初に、国際ロータリーの理事の一人が、提案理由を説明したうえ検討を求めました。次いで外国の2、3人の地区代表が決議案に賛成の発言をしました。次に立ったのは第644地区シカゴ・クラブの代表でありました。
彼は恐らく反対するだろうと私は思いました。なぜなら61年昔にシカゴ・クラブの会員が発案して採用され、その後60年以上も広く世界のロータリー・クラブで引つづいて実用されている、“He profits most who serves best”が、第2の標語に格下げされるのでは面目無いからです。
果たしてシカゴ・クラブの代表は、厳然と決議反対を打ち出しました。しかし、反対者がただ一人では形勢が如何相成るか全く判りません。日本の18の地区代表は、全員出席しておりましたが、昨日、今日と2日を通じて全く無言です。世界第2位のロータリー国が完全な沈黙では、海外諸国の地区代表から不思議に思われましょう。“沈黙は金なり”はロータリーでは通用しません。
私は勇を鼓して立ち上がり、シカゴ代表に次いで、大要次のように発言しました。
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「決議案72―76号は、今回の規定審議会において、ただ今までに検討された中でも、最重要議案のひとつだと信じます。日本の他のロータリアンの多くとともに、私は大阪地区の代表として、この決議案の採択に反対するものであります。
日本各地のロータリークラブの毎週例会では、私どもは通常日本語の歌を歌いますが、唯一の例外は“R−O−T−A−R−Y”という英語の歌です。それはこの歌の文句の中に、ロータリーのモットー“He profits most who serves best”が織込まれているからです。
近年における日本のロータリーの目覚ましい拡大は、実にこの実際的なロータリーの哲学に負うところが極めて大きいと思っております。それはこの標語が、日本のロータリアンの心に訴えるものを含んでいるからであります。日本における経済産業の高度成長に伴って、日本のロータリーも自然に拡大発展したのだとは考えにくいのであります。
この標語は、われわれ日本人が古い時代から受け継いだ有名な格言と意味が近似しております。その格言は“積善の家には必ず余慶あり”というものです。それゆえに、このロータリーの標語は私ども日本人には良く理解されてきたのであります。
この理由から、国際ロータリー理事会の提出の決議案に書いてある説明、すなわち他の一つの標語“Service above self”の方がより広く認められているとか、外国語への適用がよりたやすいとかいうのは、日本のロータリアンの関する限り、実際と一致しているとは簡単に承服しがたいのであります。
それでありますから、“He profits most who serves best”という古くから浸透している標語を第2番の地位に蹴落とすなどという冒険は、われわれ審議会メンバーは敢えて試みてはならぬと考えるのです。
このモットーこそはロータリーの創始者ポール・ハリスがその著書【This Rotarian Age】の中で高い評価をもって承認しておるものであります。
かつ、シカゴ・クラブのアーサー・シェルドンがこれを発想して以来、不変であり、かつまたロータリーの実践哲学として過去61年の長い間広く用いられてきたものなのであります。ありがとうございました。」
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これだけのことをしゃべったのですが、日本人の下手な英語に同情を引いたのかどうか、わかりませんけれども、私の言葉が終った途端に会場のあちこちから拍手が起りました。今まで誰の発言に対しても拍手は滅多にないので奇異の感じがしました。
私の後にも原案賛成の発言がありましたが、最後に票決に問うことになって、賛成者の起立を議長が求めたところ、100名くらいが立ちあがりました。
次に決議案反対の起立を求めたところ、およそ2倍にのぼる人が立ち上がったのです。その数を勘定するまでもなく、絶対多数ということで理事会提出決議案72―76号は否決されたのであります。
従ってシェルドンのサービスに関するこの有名な標語は今後も国際ロータリーのあらゆる文献から、あるいは便箋のヘッドから、封筒などから消え去る心配はなくなりました。
4.サービス(奉仕)の意味するもの
言葉の詮議はこれくらいにして、『サービス思想』の意味するところをこれから申し上げましょう。
インドの釈迦は2500年昔、このように申しました。
『人は己のために欲する福善を他人のために求むべきものなり』と。
中国の春秋時代の孔子はいわく、
『汝の欲せざる所を他人に施す勿れ』と(論語・衛霊公第十五)。
またナザレのイエスは、
『何事でも人からして欲しいと望むことは、人々にもその通りにせよ』
と(聖書マタイ伝第七章十二)。
山上の垂訓の中で諭しております。それぞれ言葉は異なるが、その精神は一つです。
ところで、これらの聖哲の教えと、ロータリーの説く『サービス(奉仕)』の思想との間には差異があるでしょうか。ある点では同じであり、ある点では少し異なると思います。
というのは、前者は仏陀や聖人や神の御子が人間の行ない得べき“理想”の教えであるのに対し、ロータリーの説くところは、一般人間のもつ欲望と他人への思いやり精神との“調和”を考えたものであるからです。
ロータリーの創始者ポール・ハリスは、この点について次のように説明しております。
「サービス(奉仕)の思想をもつ人々は、富は正しき用益を有せぬと信ずるものであろうか。答えは、いうまでもなく“否”である。ロータリーの概念するサービス(奉仕)の理想とは、自分の理解するところでは、物の過程の最初にサービスを置くものである。
換言すれば、サービス(奉仕)の理想を標榜する者は、受くべき物質においてせずして、先ず与うべきサービス(奉仕)に着眼すべきである。
物質を眼前に近くおけば、見透しは困難となる。しかしてその最も愚かなる方法は、金銭に集中することである」と。
多くの専門職業の人々は、要求されるサービスが、金銭的には引合わぬ場合であっても、心よく引受けることがしばしばあると思います。例えば、弁護士は法廷の要請に応えて無一物の囚人のために無償で弁護の労をとることがありましょう。医師は支払能力のない患者のためにも、その技術と時間を提供する場合がありましょう。
このように、もしも万人が自分の仕事に愛着をもって“天職”だと心得るならば、如何に驚くべき結果が生まれるでありましょうか。『サービス(奉仕)の理想』は、正に実践の舞台に登場するのであります。
“Service above self”(サービス第一、自己第二)は決して実現のむつかしいユートピアではなくて、実現可能な“Ideal of service”(奉仕の理想)なのであります。
ポール・ハリスは申します。メーテルリンクの“青い鳥”は、自己を離れてのサービス(奉仕)から生ずる幸福を愉快に描いているが、事実このように、サービス(奉仕)の生活は幸福の生活である。
ここに、ある家庭に二人の子供があって、弟は兄に仕えるように躾けられたとする。両親が意識すると否とに拘らず、その結果は、仕えることを学んだ弟の方が、後年すべての幸福を享けることになる。サービス(奉仕)の中にこそ幸福は存在するのである、と。
ポール・ハリスは、広く実業家の心の中にサービス理想の精神を吹きこむことこそ、ロータリーの最大の役目と考えたのであります。彼は、こう申しました。
「実業の性質にはサービス(奉仕)の理想について無頓着ならしめる何物かが内在するであろうか。否、将来の実業は非常なる熱意をもってその面目を保つことに努めるだろう。そして不良実業家を、悪徳弁護士や不良医師らと一緒に、高い木の上に追い上げずしては止まぬであろう。すでにBBB=Better Business Bureauという名称の組織ができて、不正不良の品や商売の摘発運動が始まっている。
ロータリアンは、彼らの実業は各自が社会にサービスするために最良の手段であることを自覚している。
実業は甚だ手近かにあり、カムチャッカや南洋諸島を開発して住みよき世界を作ろうとするよりも、
まず自分らの雇用する人びとの心に希望の火を点すべく、新たなる方法を発見しようと努めることの方が、一般実業人のなすべき、より善きサービスである。
ロータリーはさらに、会員が各自の“業界の協同機関”、特にその“倫理標準の向上”に尽力することを奨励するのである。
私自身は、弁護士としてシカゴ法曹協会や米国法曹協会の会員になり、2年間シカゴ法曹協会の道徳向上委員会の委員長をつとめた。その地位によって、ロータリーのサービス理想を業界に鼓吹すべき豊富な機会に恵まれたのである。当時シカゴには8000人ないし9000人の弁護士があったが、シカゴ法曹協会は、業界の倫理標準向上に巨大な足跡を印してきた。今日までに約300人の弁護士が善良なる業務道徳を守らなかったために、協会の規定によって処分されている。」
と報告しております。
さらにポール・ハリスは、人間の財産・富について面白い比喩を物語っています。こういうのです。
小児は遊ぶ時、よく砂山を懸命に築く。これは何も世の中に砂が乏しくて貴重なるがためではなく、ただ他の子供の砂山よりも自分の方を高く作りたい一心からである。小児は砂山を積み、大人は黄金を積む。両者の動機には余り隔たりはない。望むところは単に所有とその支配権、および所有せざる者に対する優越感にあるのである。
財産獲得欲はサービスの理想とは両立し得ない。人間の努力する目的がただ利益にあるとすれば、社会は必ず堕落にひんして、個人間、集団間、および国民間の確執は絶えず増大する。その終局は破壊であろう。
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人間がよく利得感情の支配から解脱して“利得をサービスの後に服従せしむ”べきことを自覚するとき、ここに始めて、社会上、経済上、政治上の秩序は確固たる基礎と堅実なる持続性とを保ち得る。そして平和と幸福とを大衆に保証する端緒を成すものである、ということです。
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「不正直で金を儲けるよりも、かえって正直で金をもうける方が多いことを覚るならば、人は正直になるに違いない。」
と、ヘンリー・フォードは言いましたが、これと同様に、
「富から得る幸福よりも、教養から得る幸福の方が大であることを悟れば、人は教養の方を選ぶにちがいない。富対教養という場合となると、富は第2位に落ちなければならない。」
と、ポール・ハリスは申しております。
さらに彼の言葉をつづけますと、
「世の多くの父親は、巨万の富が幸福をもたらす手段として無益であることを、彼自身の場合においては是認するに拘らず、なお子孫に幸福をもたらすために、富の争奪を一生懸命に続けるものがいる。子供は常住、親しんで父親と共にあることが、富よりも一層貴重であることを忘れておるのである。父が子のためになすべき最良の遺産は最良の教育である。もしも大なる富の所有が子孫の堕落を導くものであるとするならば、その富の所有を如何に弁明し得るだろうか。」
と述べております。“児孫のために美田を買わず”であります。
有史以来、偉人中の偉人たちが、その言葉に、その行動に宣揚してきたものは、ロータリーのいう“Service above self”(サービス第一、自己第二)のモットーの中に要約されている所の人生哲学であります。
また“He profits most who serves best”(最善のサービスをなすものに最大の利得がある)というロータリーの実践倫理にほかならぬと思うのであります。
世間ではロータリーやキワニスやライオンズなどをサービス・クラブと呼ぶ人もあります。間違いではないが、正確だとはいえません。
強いて言うなれば、ロータリーは、サービス(奉仕)を心掛けて、また、サービス(奉仕)の思想を実践する人たちの集まったクラブであります。
会員の中にはややもすると「私はロータリークラブの末席をけがしております。」と申される方があります。これがもし日本人の美徳でもある謙遜の心から出たものであるならば許されましょうが、そうでなく、本気にそう思っていて、末席の会員だから何もしなくてもよい、会費だけ収めて例会へ出席すれば万事足れり、むつかしい役員や委員の仕事は先輩任せでよい、と考えたら大間違いであります。
ゴルフもそうですが、その他のスポーツにも、みな観覧席、見物席が設けてありまして、プレーヤーはプレーをする、見物人は観覧席で眺めるだけです。
ロータリークラブには見物席は設けてありません。全員がプレーヤーであるべきです。ロータリーの活動はサービス(奉仕)であります。サービス(奉仕)をするのはクラブという団体ではなく、会員個人であります。一人一人であります。
これは、ロータリーの綱領を読めばわかります。綱領にはどこにも「クラブ」という文字は見当たりません。by each Rotarian , by every Rotarian 「めいめいのロータリアンが」と書いてあるのです。
1961年の東京国際大会の時に、国際ロータリー会長であったマクロウリンは“YOU are Rotary”(君がロータリーだ!)という目標を掲げて世界のロータリアンに呼びかけました。
ロータリーのサービス(奉仕)の思想は決して実行困難な理想ではなく、ユートピアではありません。サービス(奉仕)の思想を理解はしたが、実行はしないではロータリアンとは申されません。
ロータリークラブはdoers(実行する人)を必要といたします。
Doers(実行する人)に非ざるjoiners(顔を出す人)を求めません。
ロータリークラブは、社会奉仕あるいは国際奉仕の部門で、クラブ単位でサービス(奉仕)を行なう場合もあります。しかし、これはサービス(奉仕)の見本として仕方を会員に示すに止まります。
考えても判ることですが、会員のポケットから出すニコニコ箱の資金、年額にして何十万円、何百万円の端金で何の社会奉仕、何の国際奉仕が出来るというのです。ロータリーは慈善団体ではないが、金銭の必要なサービスもありましょう。
しかし、あくまでも個人の会員がサービスの主体でなければならないのです。国際ロータリーの基本方針にはこう書いてあります。
「第1に重要なことは、個人ロータリアンによるロータリーの綱領の推進である」と。
ことに職業奉仕に至っては、もっぱらロータリアン個人が行なうべきもので、会員個人に代ってクラブがサービス(奉仕)をすることは全く不可能であります。クラブの成しうることは、サービス(奉仕)の思想を会員に吹きこみ、育てるだけであります。本日の私の話もこの目的に出ているということを申し上げて終りにいたします。