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ロータリーの綱領
(‘97 西播第2分区IM・深川パストガバナーご講演より)
最も基本的なことを申し上げます。『ロータリー運動』というものは、『倫理運動』である、ということであります。ロータリークラブは、寄付団体でも慈善団体でもありません。
それは、“倫理を実践、提唱していく団体”であります。そのことは、【ロータリーの綱領】に明確に表現されているのであります。
『倫理運動』−これをもう少し正確に表現すると、“人類文化史が二十世紀の時代に刻印を打った職業人の最も優れた倫理運動”と言えるのであります。
純度の高い倫理を提唱していく結果として、ロータリアン自身もまた、育っていくのであります。
ロータリーの眼目は、“ロータリアンに奉仕の心を授けること、”ただそれだけであります。
では、奉仕の心を授けるところはどこか、そこは言わずと知れたロータリーの“例会”であります。
それだからこそ、ロータリーでは例会出席をやかましく言うのであります。この例会出席を基本として、すべての理論を展開していくのがロータリーの思考であります。
したがって、職業奉仕は例会出席から始まると言われているのであり、また社会奉仕もやはり例会出席が基本であります。
まず、クラブ例会において、良質なロータリアン同士の“出会い”があり、“異業種の良質なアイディアが交換”され、そこから『奉仕の心』が、育っていきます。
奉仕の心が育てば、あとは自然に『奉仕の実践』が行なわれるという図式であります。
一つ、例え話をいたしましょう。商業の町大阪は、ご存じのように“水の都”と呼ばれております。そこには、浪速の八百八橋と言われる位に、沢山の橋が架かっております。実を言うと、あの橋は国家権力によって架けられたものは一つもないのであります。すべて、大阪商人が自分たちの地域社会は、自分たちで作ろうという考えの下に、架けていったものなのであります。
したがって、渡辺橋というのは、渡辺さんが架けた橋だろうと思います。淀屋橋というのは、今でも淀屋橋の近くにある淀屋さんが、架けられたのかも知れません。肥後橋は、熊本出身の人が架けたものと思われます。このようして、橋の名は、皆自分の名か、自分にゆかりのある名前を、付けていったのであります。
この中に、ただ1つ、“心斎橋”という名の橋があります。なぜ、このような名前を付けたのかと申しますと、江戸時代に、ある人が“懐徳堂”という論語塾を作りました。大阪商人たちが、毎晩仕事が終わってから、その論語塾に通い、孔子の教えを学んだのであります。実はこのことが、大阪商人の商業道徳、職業倫理の基本になっていると言われております。
孔子が、弟子に諭した言葉に「仁の道は貧富に関係なく存在する。まず、心を洗え。」というのがあります。大阪商人がこの言葉に感動して、心を洗う、心を斎める橋、と書いて“心斎橋”と名付けたのであります。
要するに、大阪商人が、論語塾で心を磨いた結果、その心が、社会奉仕的な現れとして、地域社会に橋を架けていったのであり、職業奉仕的な現れとして、大阪商人の商業道徳、職業倫理を確立していったのであります。
このことは、実践の前にまず心を磨くことの重要性を物語るものであります。
ロータリーにおいても、毎週ロータリアンが例会に出席して、お互いに心を磨きあって、『奉仕の心』を授かるのであります。そのロータリアンが、一歩外へ出ると、そこはすべて『奉仕の実践』の場であり、ロータリアンたるものは、自然に世のため人のために実践していくであろうと、ロータリーは期待しているのであります。
したがって、クリスチャンが、毎週日曜日に教会に行って、神に祈り、心を洗うのと同じように、ロータリーは、毎週1回例会に出席して、お互いに心を磨きあう、これがロータリーの基本的な考え方であります。ロータリーが、例会出席をやかましく言うのは、このような理由に因るためです。
手続要覧によると、『ロータリーの綱領は、有益な事業の基礎として奉仕の理想を鼓吹し、これを育成することにある。』と訳されていますが、深川パストガバナーは次のように解説されています。
先程、ロータリーが倫理運動であることは、綱領に表現されていると申しました。
綱領の本文は、『ロータリーは、企業の根底に奉仕を置くべしとする理想を追求することを目的とする。』と規定しております。もっともこれは、手続要覧の表現とは異なりますが、英文の綱領を翻訳しますと、このような趣旨になるのであります。
また、『ロータリーは、奉仕こそ企業の基礎たるべきものと考え、この理想(こころ)を提唱することをもって、その目的とする(小堀憲助訳)。』と説明されています。
この本文の中の『企業の根底に奉仕を置く』というところが大事なところであります。即ち、企業は利潤なくして資本主義経済社会を生き抜いていくことは出来ません。したがって、企業の根底には儲けがあります。にもかかわらず、ロータリーは、儲けを否定するのかというと、否定はしないのであります。
では、『企業の根底に奉仕を置く』ということの意味は一体何か?
例えば、ある商人が1万円で商品を仕入れて、それを100万円で売ったとします。商人は、ぼろ儲けでありますから大変幸せになります。しかし、買わされた客の方は、騙されて暴利を被ったのでありますから、大変不幸になります。
ロータリーは、この種の儲けを儲けとは言わないのであります。
ロータリーは、商人は商品と引き換えに代金を受け取って幸せになり、客も然るべく、代金と引き換えに商品を受け取って幸せになる。売主も買主も双方が幸せになる“調和点”が必ずあるはずであります。その調和を求めるのが『企業の根底に奉仕を置く』ということの意味であると、説くのであります。
これがロータリーの奉仕の基本的な考え方であります。
この綱領本文の考え方は、1923年のセントルイスの国際大会で、採択された決議34号の第1項に、『ロータリーとは、利己と利他との調和を目的とする人生の哲学である。』定義されているのであります。
これを先程の事例に当てはめてみますと、商人の立場に立てば、商品を売って代金を受け取ることによって、利己即ち自分を利することになり、それと同時に、客の方も商品を適正価格で買い取ることによって、幸せになる、即ち利他となる。その双方が幸せになる調和点を求める人生哲学が、ロータリーであるというのであります。
ところで、綱領の本文はあまりにも抽象的でありますので、誤解を避けるために、補足原則(本文の構成要素)を4項目挙げているのであります。
第1は、『心の友を得て、もって奉仕の契機となすべきこと。』
ロータリーの例会は、奉仕の心を作るところであります。1業1会員制により選ばれた、良質な職業人達の出会いによって、良質な友情が生まれ、その心の友との親睦のエネルギーが、世のため人のためのエネルギーになる、ということを規定しているのであります。これが補足原則の第1であります。
手続要覧の翻訳では、『奉仕の機会として知り合いを広めること。』となっておりますが、これでは知り合いを広めることの方に重点があり、何となく分かりにくいのであります。
これは、『親睦なくして奉仕なし』と言われるように、奉仕の前提となる親睦、学び合う親睦、即ち奉仕の心を作る親睦の規定なのであります。
第2は、その奉仕の心はどのような内容のものか、ということを規定しています。ロータリアンは、全て職業人でありますから、ここでは職業人の心を説いております。これは(1)、(2)、(3)と3つに分かれていますが、私は(3)の方から解説する方が分りやすいと思います。
即ち、(3)は、ロータリアンは『自分の職業を天職と心得べきこと。』、即ち、職業というものは、単に儲けを得るための手段ではなくて、神様(天)から授かったものである、という自覚を持たなければならない。このような自覚を持てば、自ら胸を張ることができ、職業に誇りを持つことが出来る。その結果、職業に品位が出てくるのであります。
手続要覧の翻訳は、『ロータリアン各自が、業務を通じて社会に奉仕するために、その業務を品位あらしめること。』となっていますが、職業奉仕という言葉が英文ではOccupational Serviceではなくて、Vocational Serviceとなっていることを合わせ考えると、簡単に『職業を天職と心得べし』と集約する方が分かりやすいのであります。
職業天職論は、戦後大阪ロータリークラブの北澤敬二郎パストガバナーが提唱されたものであります。
(2)は、『職業に貴賎なしとの自覚を深めるべきこと。』を説いているのであります。ロータリアンの職業は、みな天職でありますから、例えば、会員50人のクラブであれば、50通りの天職があることになりますが、天職と天職との間には、上下の別はなく、貴賎の別もないのであります。
したがって、ロータリアンは『職業に貴賎なし』との自覚を深めなければならないということを、説いているのであります。
手続要覧の翻訳では、『あらゆる有用な業務は尊重されるべきであるという認識を深めること。』となっていますが、これでは分かりにくいので、単刀直入に『職業に貴賎なし』と言い切った方が、明快であると思うのであります。
(1)は以上のごとく、職業が天職であり、職業に貴賎なしとの自覚を持った職業人は、職業の社会的責任を自覚して、『職業の倫理基準を高めるべきこと。』を説くのであります。
第3と、第4は、『奉仕の実践』のことを規定しています。
したがって、綱領の第1、第2は、ロータリークラブの中のこと、即ち、『奉仕の心』を作ることを規定し、第3、第4では、クラブ外のこと、即ち、クラブの中で作られた奉仕の心を、社会の適用(実践)することを規定しているのであります。これが、実践に関する規定であります。
この奉仕の心を実践に移す対象として、最初に出てくるのが、綱領第3の中のPersonal Life即ち家庭生活であり、これが実は青少年奉仕の出発点であります。手続要覧では、Personal Lifeを個人生活と訳しておりますが、Personal という言葉は血の通った関係を意味しますから、家庭生活と訳す方が正確なのであります。
奉仕の心を、先ずは家庭生活に適用し、次に、Business Life 即ち、職業生活に適用し(職業奉仕)、さらにCommunity Life即ち、社会生活に適用すべきことを規定しているのであります。
この“社会”の中には、Local Community即ち地域社会と、International Community即ち、国際社会があります。したがって、奉仕の心を家庭生活と地域社会生活に適用することを社会奉仕、国際社会に適用することを国際奉仕というのであります。
ここで疑問が出てくるのは、地域社会と国際社会の中間にあるべき国家社会に対する奉仕は、どうなっているのか、ということであります。
実は、ロータリーは、地域社会とその延長上に国際社会に対する奉仕の概念は認めるのでありますが、国家社会に対する奉仕という概念を、持っていないのであります。
この点が、戦前の日本のロータリーが、軍閥の弾圧を受ける理由の1つでもあったようであります。即ち、ロータリーは、アメリカに本部があるスパイの手先だとか、フリーメイソンの隠れみのだとか言われて、弾圧を受けたのであります。これに関する事情を少し紹介しておきます。
昭和7年、京都ロータリー・クラブに右翼の一団が押しかけて来て、「ロータリークラブは、天皇陛下の御為にはならないから、直ちに解散せよ。」と迫ったのであります。
時の会長は、京都電灯株式会社の社長の石川芳次郎さんでありました。石川会長が、「ロータリー・クラブは、職業人の集まりであって、会員はそれぞれの職業を通じて、世のため人のために奉仕しており、それが日本国社会の発展のために、寄与しているのであって、決して、スパイの手先ではない。」と主張したのでありますが、右翼の一団は納得せず、それでは「その証を見せろ。」と、さらに迫ったのであります。
そこで石川会長が、「ロータリーというものは、世界的な組織でありますから、全人類の幸せを祈るものであり、一国の国民の幸せを祈るものではありません。したがって、例会場に国旗を揚げたり、例会で国家を斉唱する慣例はありません。しかし、天皇陛下の御為にも、ロータリー活動をしているという証を立てるために、これからは、例会場に日の丸の旗を掲揚し、斉唱しましょう。」と答えたところ、右翼の一団は納得して引き上げたのであります。
このことが、ロータリーの地獄耳によって、直ちに日本全国のロータリー・クラブに伝わり、例会場に日の丸を揚げ、君が代を斉唱することは、右翼撃退に効果があるというので、それ以後、日本のロータリーでは、例会場に国旗を掲揚し、国家を斉唱するようになったのであります。
このようにして、この慣例などは、私達の先輩方が軍閥の弾圧を避けるために、血の滲むような思いをして、開発してきたものなのであります。そこで、例会で日の丸を揚げ、君が代を歌う場合にも、先輩達の歩みに思いを馳せ、敬意を表することを、忘れてはならないと思うのであります。
少し横道にそれましたが、要するに、ロータリーの綱領の中には、国家社会に対する奉仕の実践という概念が、欠落しているのであります。
以上を整理しますと、奉仕の実践の対象は、家庭生活、職業生活、社会生活(地域社会生活、国際社会生活)であり、これが綱領の第3(社会奉仕)であります。
本来、綱領はこれで完結しているのでありますが、ロータリーは、さらにもう一つ第4として、国際社会に対する奉仕の実践を、重ねて規定しています。
これは、第3の社会生活の中に、既に国際社会が含まれておりますので、国際奉仕は、規定済みなのであります。
では、なぜ重複して規定したのかと言いますと、ロータリーの綱領は、何回か改正しながら、1922年、ロスアンゼルス国際大会において、ほぼ、現在の綱領と、原理的に同じものが出来上がったのでありますが、実は、その前年の1921年エジンバラ国際大会において、国際奉仕の概念を初めて正確に定義したのであります。その文章があまりにも素晴らしかったので、その文章をそのままの形で、綱領の第4(国際奉仕)にもってきたのであります。
折りしも、第一次世界大戦が、終結して間もない頃であり、国際平和の重要性が叫ばれていた関係上、国際奉仕については、敢えて重複して規定したのであろうかと思われます。